「国葬」を笑う2022年09月30日 20:47

 元首相某は自分にふさわしい仕方で死亡した。この元首相は様々な事件で訴追を免れていたが、最後に路上で射殺されて横死している。これはマフィアの争いで射殺されたようなものである。マフィアの葬式を国葬でするという国家は大したものである。
 元首相は元統一教会の関係が命取りになったようであるが、これはこの元首相の本質を示している。統一教会は今では振り込め詐欺団体のようなものになっているようであるが、もとは「勝共連合」をやっていた反共宗教団体である。
 元首相の実績は、まず教育基本法に「愛国心」の規定を導入し、これは教員に対する君が代の強制を導くことになった。さらに国家機密法、共謀罪の導入、集団的自衛権の容認といった一連の反動立法を強行採決し、日本国の右傾化を印象付けることになった。
 外交にも実績があったとされている。だがいわゆる拉致問題は小泉訪朝でほぼ解決していたが、当時自民党の副幹事長あたりであった元首相の横槍でとん挫している。拉致被害者の五人が一時帰国した際にこの副幹事長が無理やり永住帰国させ、拉致問題は暗礁に乗り上げることになった。北朝鮮が日本国を信頼しなくなったのは当然であり、外交のイロハを知らない行動である。拉致被害者家族には適切な助言者がなかったのであろう。
 ロシアとの関係ではプーチンとおしくらまんじゅうをしていただけで、何も結果は出ていない。
 この元首相の特徴はトランプ、プーチンと気脈を通じていたことによって明瞭になる。トランプはクーデタ未遂事件を起こすとともに、退任後は公文書館に移すことになっている公文書を秘匿することによってFBIの強制捜査を受けた人物である。この文書は北朝鮮の核保有に関するもののようであるが、トランプは不適切な取引でもしていたのであろう。公文書を自宅に秘匿すれば政策の検証をまぬかれるかのように考えていたとすれば幼児的なメンタリティが表れているということであろう。日本の元首相某はトランプの就任前にご機嫌窺いに行って「信頼できる人物」と思ったそうであるが、言いえて妙である。
 クーデタ未遂事件については議会が特別調査委員会を設置してほぼ全容を明らかにしているが、トランプ自身を喚問していないことには過度の慎重さがうかがえる。公文書秘匿事件に関しても司法省は物件を押収するだけでなくトランプを訴追しなければならないはずであるが、トランプ派の反発を恐れてかいまだに実現されていない。アメリカの司法も前大統領については王権に対するかのような過敏さを持っているようである。
 トランプの例は今の世界でもっともナチズムが活発なのはアメリカであることを示している。フロリダ州知事は移民入国者を民主党知事の州に移送するということをしているが、これはナチスがユダヤ人を強制収容所に移送しいていたのと同じようなものである。
 プーチンは国内的には暗殺行為をしていた人物であるが、ウクライナ侵略戦争で無数の戦争犯罪をしているのは不思議ではない。だが国際刑事裁判所に引き出すためにはロシアの同調が不可欠である。しかし動員を逃れるために国外に脱出を急ぐロシアの青年を見るとスラブ人は奴隷根性から抜け出すことができないようであり、正義の裁きの見通しは難しい。
 日本国の元首相はこれらの独裁的指導者と同類の現象である。これらの右派的反民主主義者がいずれも不法行為と身近な関係にあることは興味深いことである。
 元首相某は経済的にはアホノミクスと揶揄されるものを提唱していた。これは大企業が閏えば「好循環」によって地方や中小企業も閏うというようなものであった。実質的には日銀に超低利政策を取らせただけであるが、結果的には大企業は内部留保を肥大させ、労働者の賃金はむしろ減少することになった。また結果としてはデフレから脱却したが、今度はインフレ要因を抱えることになった。これが資本の論理というものである。
 この元首相の政治手法は縁故主義であって、政治はクリエントへの利益誘導に帰着する。代表例としては首相夫人が関与していた森友に対して国有財産を大幅に値引きして売却させるという財務省の背任事件を起こしている。また獣医学部の新設は認めない原則がある中で、愛媛県を経済特区とすることによって、知人に獣医学部の新設を可能にさせている。「学部」新設も「経済」化によって可能になっている。経済はコネとワイロによって動くものになる。

 こうした多大な実績があるために元首相の「国葬」が行われたのであろう。
 政府によるとそれは第一に最も長く首相の座にあったからである。長いがゆえに意味があるわけではなかろうが、アメリカ大統領で二期8年は普通のことである。ドイツのメルケル首相は元首相より長く在任しドイツ再統一に多大の貢献をしたが、国葬というような野暮なことはおそらくないであろう。のみならずこの元首相は政権の延命のために汚いことをしている。森友事件に夫人が関与していたら辞任するとしていたが、それを示す財務省の文書を改ざんさせ、担当者を自殺させている。ちなみにこの元首相は側近であった河井議員の妻の選挙では1億5000万円という桁違いの選挙資金を出させ、それが引き金となって大規模な買収事件を引き起こし、河井夫妻が投獄せれても知らん顔をしている。ここには元首相の温かい人柄が現れている。
 第二に暗殺に関して国外からの弔意が多いことがあげられているが、外交辞令を文字通り受け取るのはナイーヴであろう。
 前後して行われたエリザベス女王の国葬とは月とスッポンであって比較にもならない。教会は葬儀のプロであり、イベント会社と役人がやるものはこんなものにしかならない。
 エリザベスの葬儀が壮麗なものになったのは、女王は議会と主権を共有する主権者でもあるからである。19世紀のジャーナリスト、バジョットは国家には権威の部分とと権力の部分があるとしていたが、項の強いイギリス時の中にあって権威の担い手である王権は壮麗なものでなければならなかったのであろう。たとい王は「君臨」はしても「統治」はしないとしても。
 しかし今度の常王の葬儀はエリザベスの葬儀であるとともに、イギリスの王政の葬儀のようなところがある。チャールズが即位したが、これは無条件的なものではなく、即位協議会で読み上げられた王の義務に対してチャールズはいちいちI agreeと同意しており、王位は契約である。これは無条件的であり、大嘗祭というプリミティヴな服属儀礼しかない日本皇帝とは異なる点であり、ここに日本国において法の支配が貫徹しえない淵源がある。チャールズは即位宣言で「生涯国民に奉仕する」としているが、王はもはや「君臨」するものではなく、「奉仕」するものである。イスラム国を除いて、民主主義国の王制は時代遅れになりつつあり、生き残りが課題になっているのである。
 元首相の葬儀では葬儀委員長が弔辞を述べるというような奇妙なことがある。しかしもともと国家と宗教が峻別される国においては、国葬には死をどう扱うという宗教的な要素を不可欠とする葬儀の性格が欠けている。元首相の国葬も追悼式にすぎず、政教分離の国では本来国葬はありえないのである。
 キシダ首相は弔問外交をしようとしたようだが、サブリーダーに対する分刻みの面談は外交とは言い難い。むしろ遠来の客人に対するレセプションをやっていないのは常識に反している。国葬が失敗したのはキシダが元首相の死を利用しようとしたからであろう。キシダには基本的判断力がないことが露呈している。
 キシダは聞き上手だとされるが、理解力がないから右の耳から左の耳に抜けているだけである。彼は核廃絶が悲願であるらしいが、核不拡散条約は核廃絶につながらず、核禁止条約から行くべきだと言っても理解しないであろう。
 国民の半数以上が国葬に反対だったそうであるが、それはまずは折からのインフレで国民生活がひっ迫しているところに無駄使かいすることへの反発であろう。政府・日銀はインフレの基本要因である円安に何らの根本的な対応をせず、何万円かを配るという焼け石に水の対象療法に終始している。為替介入は一日の効果しかなく、為替介入は無駄である。
 しかし国葬に反対するのは根本的には元首相が国葬に値しないためである。日本政治の癌が消えたことは喜ばしいことである。しかし国葬への反対者も元首相を政治的、法的に水から放逐したのではなく、精神的障害も予想される容疑者によって始末させられたという点については、あまり自慢にならない。一強政治などというものを存続させていたのもこの国民である。
 国葬反対者とともに献花者も存在する。この両群は保守的であるかどうかという点だけでなく、使っている情報システムが違っているようである。通信回路に互換性はなく、両群の間にコミュニケーションは成り立たない。両群はパラレル・ワールドであり、情報システムが社会の分断を招いているのである。

 元首相棒が頭角を現すようになったのは20年前の小泉訪朝あたりからのことである。この20年は政治的にはいわゆる政治改革によって政治の世界でも独占が可能になり、政治は劣化している。このことは経済に関しても言える。
 20年前には日本のGNPは中国を上回っていたが、今ではその三分の一以下である。20年前には一人当たりの国民所得はOECDの上位にあったが、今では下位に定着している。この20年は日本経済にとっては衰退と転落の20年である。中国のあり方がよいというわけでもないから、これはどうでも構わないことであるが、無視できないこともある。
 泡ゆるアホノミクスによって日銀が世界で唯一のマイナス金利をかたくなに続けているが、これはモラル・ハザードでもある。大企業はぬるま湯に漬かって先進性を失っているようであり、衰退はその帰結である。またその周辺では五輪の贈収賄事件に見られるような腐敗も忍び込んでいる。フェア・プレイの場にあってコネや賄賂といった芳しくないことが横行するということは経済の劣化の一面であろう。
 元首相某の時期の最大のスキャンダルはおそらくゴーン氏事件である。この事件についてはいまだにその核心が把握されていないようであるが、腹心とされたケリー氏の判決はこの事件がでっち上げられたものであることを示している。
 ゴーン氏は有価証券報告書に役員報酬を過少記載したとされ、秘書室で退職後に支払う未払い報酬が検討されたにもかかわらず、それが記載されていないとされている。だが役員報酬は役員会等によってオーソライズされなければ決定されるものではなく、秘書室の検討などで決まるものではない。だから未払い報酬が有価証券報告書に記載されていないのは当然のことなのである。もし未払い報酬というものが正規にあるとすれば、それは貸借対照表の「未払い金」に記載されなければならない。それがないということは、未払い報酬などというものはないということである。私は大学卒業後金融機関の審査部門で毎日有価証券報告書を見ていたが、検察官や裁判官はバランス・シートの見方を知らないのであろう。
 ケリー氏への判決からわかることは、ゴーン氏事件は違法行為などには関係がないものであり、ゴーン氏がルノーとの一体化を図ろうとしたという不確かな情報によって、ゴーン氏に違法行為があったという後述のもとに、政府にとって好ましくないと思われた人物を追放しようとしたものであったとみてよい。そうして有価証券報告書過少記載というような笑うべき事由が持ち出され、日産、経済産業省、検察などが連動して日産の再建者であるこの異色の経営者を失脚させようとしたわけである。こういう事件が首相官邸に無関係であるとは考えられず、法原則に関して浪花節的に出鱈目であったアベスガ政権がゴーサインを出したのであろう。
 ゴーン氏事件は国家権力が無実な者を犯罪者にいようとした国家犯罪のようなものであり、この20年間における経済の劣化を示すだけでなく、元首相某の政権の最も忌まわしい事件であるとともに、ひいてはガラパゴス国家の最も暗黒な部分を露出させている。コネと賄賂によって動くようになっている国において、独自の道を行く経営者を陰謀によって追放しようとしたわけである。ここには異質な者を排除しようとするガラパゴス国家の最も忌まわしい面が現れている。
 こうしてみるとゴーン氏事件は元首相某の時代に顕著になるガラパゴス国家の限界点を示すものであると見ることができる。閉鎖性を特色とするこの国家は、この時代に政治的劣化、経済的劣化に見舞われてきたが、近年には有効策を打てない学術会議の失墜に見るように学術的にも劣化しているようである。この総劣化はガラパゴス体制が持続可能ではないことを示唆するであろう。
 ガラパゴス体制とは世界で唯一の皇帝をあがめ、法や人権には無縁の酋長に服従するといった古代的あり方を維持している珍しい体制である。歴史的に効果がなかったわけではないこの体制が限界にあるということは、その転換のためには脱天皇主義がなければならないであろう。しかしその展望はほとんど存在していない。これは単に制度の問題でなくメンタリティの問題であろう。この国民には独特の緩い性格があり、近年では児童には関係がない天気予報にもぬいぐるみが見られるように、幼児化は一段と進んでいるようである(蛇足であるが近年では天気予報でも「これまで経験したことがない台風」というようなオーバーな表現を乱発してオオカミ少年になっている。北朝鮮のミサイルが騒がれたりしているが、北朝鮮の目的はアメリカの注意を引こうとして挑発することであり、日本国は眼中に置かれていたい。ミサイルも穀倉と同様に日本国は通貨である)。緩い性格は結構であるが、そこでは法の支配も貫徹はできない。
 ガラパゴスからの脱却が予測できないということは、この国家は沈没するほかないということであろう。近年の円安は単に日米の金利差によるものではなく、失敗国家の日本売りであろう。しかし犯罪国家が消滅することは慶賀すべきことでもある。葬送すべきはまずそうした国家なのである。