シノーポリ没後25年2026年04月20日 20:19

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 イタリアの指揮者ジュゼッペ・シノーポリが2001年4月20日にベルリン・ドイツオペラでアイーダの指揮中に急死して以来四半世紀が経過した。ヨーロッパではこれを記念してイタリア外務省などの後援のもとに関わりのあったロンドン、ベルリン、ローマ、ヴェネチアなどでSinopolianaの催しが企画されているが、日本国ではそうした試みがないようなので、不適任であるけれども駄文と蛇足を記すことにする。彼は今日の世界の精神的、文化的な困難の証言なのである。
 ヴェネチア生まれのシノーポリはパドヴァ大学で精神医学を専攻して医学の学位を取得しているが、当時から音楽への関心を抱きダルムシュタットの現代音楽講習会に参加して音楽家への道を進んでいる。しかし彼は音楽に幻想は持っていなかったようである。ある種の指揮者のように音楽で世界が変えられるとは信じていなかっただけでなく、彼自身自分の要素は音楽や指揮だけではないとしている。
 シノーポリの学生時代はいわゆる大学反乱の時代であり、彼も明確にその刻印を受けている。唯一無二の伝記を作ったキーンツル女史は、シノーポリは左翼であり続けたと述べている。もっともシノーポリには宗教的傾向があり、共産党に加わっていた同じヴェネチア生まれのルイジ・ノーにたしなまれたことがあったようにマルクス主義者ではなかった。著名オーケストラの常任を務め三つの住宅を持ち年俸10億リラのエリートであったが、彼自身は共産主義者ではないとしても社会主義者であると自任している。ヘーゲルなどをたしなみ、チュービンゲンにエルンスト・ブロッホを聴講したり、私とは全く同世代であり、知的カタログも共通している。
 私には流行嫌いの所があり、生前のシノーポリは一度も聞いていない。シノーポリに注目したのは実は彼が考古学もやっているということを知って以来のことである。シノーポリはベルリンで急死した2日後にローマで考古学の博士論文の口述試験を受けることになっていた。メソポタミアの宮殿建築をテーマとする論文は指導教授のもとで出版され、博士学位は死後授与されている。
 彼はまた古代の陶器の収集家でもあるが、実は私も中国陶器、ギリシア陶器、縄文土器、弥生土器などを集めていたのである。もっともシノーポリの収蔵品は専門家によってAristaiosという立派な本になっているのに対して、私のものはガラクタであるが。シノーポリはチョコレート・ソースのスパゲティを作ったことがあるようであるが、私は料理の趣味は共有していない。 
 音楽家としての道を進めたシノーポリは新音楽つまり現代音楽には限界を感じたようであり、オペラ『ルー・サロメ』を最後として作曲からは身を引き指揮者として転進することになる。彼はまず現代音楽の困難の証人なのである。
 現代音楽の代表格としてリゲティとピエール・ブーレーズを挙げるのは異論のないところであろう。リゲティの音楽は名人芸的なもので誰にもまねのできないものであるが、ブーレーズのものは数学的構築を思わせるところがあり、人間の感性からは遠いところがある。
 しかしプラトンは音は宇宙のハーモニーの模倣であるとしており、宇宙の構造とメカニズムが数学的に表現されることは看過できないことである。またピタゴラスは宇宙を構成する四元数というものを考え、音階というものも四元数に由来するものであるとしてiいる。ところで晩年のリゲティがフラクタル(自己相似的)幾何学を援用した作曲をしているのは興味深いことである。ピタゴラスの四元数は自己相似的三角形をしているが、宇宙もフラクタル構造をしていることが知られている。とすると宇宙の音楽を聴くことも全く空想的なことだとは言えなくなるであろう。
 国際的に演奏される日本の唯一の作曲家の武満徹(今年は武満の没後30年である)は音楽はもともと自然にあり、作曲は自然に学ばなければならないとしている。武満の音楽が人間の感性に近いのはこのためであるとも言えようが、独学の彼に表現力の制約があることは否めず、またやや受動的な性格のものであることは日本人の自然観に関わっているろう。だが自然は風や波だけでなく、宇宙や素粒子の世界も自然なのである。
 しかし音楽が自然に由来するということは、芸術にとっては自己矛盾的なことである。なぜなら芸術というものは自然に対置されてきたものであり、芸術が自然に近づくと芸術と娯楽との区別も難しくなる。ここに音楽芸術が当面している基本的な困難の背景があろう。とりわけ21世紀に入ってこれといった作品も生まれず行づまっているかのようであり、芸術音楽は過去の作品をもっぱら手を変え品を変え演奏するようなものとしてクラッシックつまり過去の音楽になったのである。
 すでにヘーゲルは芸術の終焉ということに言及していたが、それはまずもって音楽について言える可能性がある。ヘーゲルが芸術の終焉として考えていたのは、哲学が真理を把握できるようになったから、真理を完成的に飲み表現しうるだけのものである芸術は不要であり、さしあたりは宗教がその代用になるとしていた。
 しかしヘーゲルが考えていた絶対知というものは今日ではすでに崩壊しており、哲学自体真なるもののよりどころとしては美的なものや宗教的なものに帰着していく傾向を示しているから、終焉したのは哲学自体であるともいえる。その間に芸術も真なるものに関わりのない嗜好にすぎなくなったともいえるであろう。それは音楽だけではなく美術などにも言えることであり、美術はアートと呼ばれペンキの看板と同じようなものになっているようである。ここには趣味判断の劣化が観察されるが、そこには芸術が商品化され、消費されるようになった時代背景があろう。
 指揮者に転じたシノーポリはレパートリーはかなり狭く、バロックは全くなく、古典派もわずかであり、ロマン派の演奏が中心であった。そのキャリアは一世代前のピブーレーズの後を追うようなところがあり、作曲家として出発しつつ指揮者に転じ、自分の演奏団体を作るとともに、晩年には二人ともバイロイトの常連になっている。どちらが優れているかというようなことは意味のないことであろうが、シノーポリが大指揮者であったかどうかは、議論のあるところであろう。だがシノーポリは指揮の仕事を生涯の仕事とは考えていなかったのである。
 シノーポリがフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者になる際に前任のリッカルド・ムーティはこの楽団の特別なサウンドが破壊されるとして反対票を投じたが、この両者は対照的であったと言える。この団体との録音ではマーラーの第3番や第6番はよくできていると思うが、演奏効果を考えないリストやエルガーの地味なものは音楽の構造を浮かび上がらせて興味深い。
 私はムーティもシカゴ・シンフォニーを一度聞いただけであるが、ナポリ生まれの彼の演奏はのびやかで明るいものであるのに対して、ヴェネチア生まれのシノーポリは鋭角的で一筋縄ではいかない。ムーティの演奏にはこれと言って悪いことはないのであるが、それだけのことであり、その職人的な演奏は本質的に娯楽音楽になっていると言えよう。だが問題は資本の介在と無関係でなく、芸術音楽と娯楽音楽の区別が解消しつつあることであろう。
 シノーポリのようなインテレクチュアルな演奏家は他の分野においてグレン・グールドがあるくらいなものである。ショー的大家のホロヴィッツに対比されるグールドはバッハの演奏で大きな反響を呼んだが、彼の場合も学理的な裏付けを持つものであった。そうした背景のもとで彼は比類ないピアニズムでもってチェンバロからピアノへの演奏法の転換をもたらし、チューレックという先行者を持ちながら、その演奏はもはや異端ではなく新しいスタンダードになったと言ってよいであろう。
 ところが知られているようにこのグールドは演奏会を放棄して録音に専ら宣念することになった人物である。これはテクノロジーに期待と信頼を持ち、そこには聞き手の参加の意味もあるというようなことを言っているが、しかし録音というものは本質的に編集であり、ベンヤミンの言う複製芸術における「アウラ」の喪失という落とし穴があることは否定できない。時間の現象である音楽にとって、録音はその生命を抜くような面を持っているからである。我々はいやおうなく疑似音楽に順応させられている。これはグラモフォンと専属契約をして短い期間にもかかわらず多くの録音を残したシノーポリの最後の問題であろう。
 アウラを喪失したテクノロジーの進展はデジタル化された音楽にとどまらず、情報世界のあり方を変容させ、生活世界自体を規定するようになっている。ニュー・メディアと言われるXやMETAなどのプラットフォームと言われるものは一見中立的な装いを持っているが、そうしたプラットフォームを運営しているのは資本主義企業であり、これらの企業は押しなべて権力追随的であって、その情報処理手法(アルゴリズム)はその企業的関心によって制御されており、中立とは程遠いものである。これらのメディアの利用者は自由に利用しているつもりであろうが、実はコンピューターのアルゴリズムによってその頭には支配的通念が構造化され、精神は物象化されている。
 アルゴリズムの特性は直観と創造に対置されるものであり、それらはコンピューターのアルゴリズムからあらかじめ排除されている。アルゴリズムに制御された人工知能(IT)と言われるものは既成の通念によって構成されるものであるから、それは当然に保守的なものである。ITによって政策が決まるのであれば政治は不要になるであろうから、Itに基底を置く政党というものも奇妙なものとなろう。
 テクノロジーの発達とともに、それを制御すべき人知も重要になるが、人知はテクノロジーの進展についていけていないようである。近いところではデジタルによるマイナーカードのコントロール不全によっる混乱がある。大きいところでは、人間のテクノロジーが核融合反応を生み出し、そこから生まれた核兵器によって人間が支配され、原発を十分に制御できない現実である。ホモサピエンスの先も見えてきたと言えよう。
 このようにコンピューター・アルゴリズムによって世界が支配され、アウラの喪失に無関係でない地球の混乱が出現しているとすれば、そうしたアルゴリズムの外にある芸術というような営みが困難になるだけでなく、そもそもそうした現実において芸術などという悠長なことを言うこと自体迂遠なことになるであろう。シノーポリが表現するに過ぎない指揮は現実に無力であると覚めた言い方をするわけである。
 しかしそれは逆でもあり、芸術はそうした現実に随順することもあるけれども、またそうした現実から距離を取って、それを否定することもある。芸術は現実に対して仮想であるにすぎず、両者は別世界(parallel world)である。しかし宇宙空間において平行線は交差するのであり、この仮想と現実にも交差点はあるのである。ここで両面に触れる理由である。

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 ウクライナ戦争の出口も見つけられないうちに、今度はアメリカがイラン戦争を始めている。戦争開始後ホワイトハウスを訪問したドイツのメルツ首相が「出口」はどこかと尋ねた時トランプ大統領は何も答えられていない。戦争の目的も明らかでないのであるから、出口など考えることもできないのであろう。核の開発をめぐるイランとの交渉が難航していたから最高指導者を殺害したのであろうが、これはマフィアのやり方である。トランプは野球帽をかぶって殺害の中継を観戦していたが、テレビゲームでもしていると思っていたのであろう。いすらえるにそそのかされるか、あるいは気まぐれに戦争を始めるから、終わり方に四苦八苦することになる。その間に無益に人名は失われ、国土は破壊される。
 アメリカは20世紀には民主主義のパイオニアとして一目置かれていたが、トランプの時代になって世界から唾棄される存在になってきている。その兆候は2001年にニューヨークの同時多発事件にあったと言ってよいであろう。この時アメリカはなぜ攻撃されるのかを問うこともなく、やみくもにアルカイダへの報復活動に走り、直接的な証拠はなかったもののオサマ・ビン・ラディンを殺害している。それに関連してイラクのサダム・フセインが大量破壊兵器を隠しているとしてサダムも殺害したが、大量破壊兵器なるものはなかったのである。大男総身に知恵が回りかねである。
 トランプの時代になってアメリカの暴走が顕著になったことの背景にはファシズム化があるであろう。ファシズムはある定度発達した資本主義国が経済的に不調になっと時に出現した強権政治体制であり、20世紀の前半にイタリア・ドイツ・日本などに広がったものであるから、アメリカは一回り遅れてファシズムに至ったということであろう。しかしアメリカのファシズムはトランプという半狂人の存在と無関係ではない。彼は少なくともヒトラーと同定度に精神異常の所があり、ファンタスゴマリーは明らかであるが、精神科医の診断は不可欠であろう。トランプはホワイトハウスよりは精神病棟の方が似つかわしい。
 2世紀前にトクヴィルはアメリカには哲学者はいないけれども、司法やジャーナリズムが健在だから民主主義が保たれているとしていたが、大統領が司法やジャーナリズムを攻撃するようになると、哲学者がいない国の弱点が表面化する。もっとも今ではどこにも哲学者などいないかもしれないが、おそらくその最後であった、私にも無関係ではないユルゲン・ハーバーマスが先月死去した。
 世界に戦争が勃発する時代にハーバーマス理論は試練も受けている。彼の基本的な観点は利害対立を対話によって解決しようとするものであって、それはナチの法学者カール・シュミットに対置されるものである。シュミットは政治というものは敵対関係を本質とするもので、それは究極的には力と戦争によって決まるものであと見る。政治という概念は都市国家(ポリス)的な支配つまり自由人の支配ということに由来しているからシュミットの見方は誤りである。しかし対話というものは一つの理想形であって、ハーバーマスは理想形を現実態と見なす傾きがある。政治とは理性と暴力を両端とする実践体であり、そこでは暴力をふるうためにも理性は使わなければならないのである。だから対話的政治というのは民主政治の基盤であるとともに、政治を成り立たせる条件でもある。この洞察があったからこそ第二次大戦後のドイツがヨーロッパの一員として迎えられることも可能になったのである。ハーバーマスの死に当たってドイツの大統領と首相は弔文を発表してハーバーマスに感謝の意を表明している。これは全く異例のことであり、およそアメリカにおいては考えられないことである。ひるがえって今の日本国においてはこうした思想家は死に絶えているであろうが、逆に言えば、そうした弔文を出せる政治家がいるだろうかということである。
 メルツ首相がホワイトハウスを訪問した次の週に日本の馬鹿一がホワイトハウスでトランプだけが「平和」をもたらせるとへつらっていた。馬鹿一もトランプと同様に「力による平和」主義のようであるが、力による平和は刑務所の平和であり、持続可能でもない。馬鹿一もイランは核を持てないと言っていたようであるが、なぜイスラエルは核を持ってよく、イランは持てないのか説得力のある説明は聞かれない。そもそも核禁止条約に参加もしていない国が他国に核を禁止する資格があるかどうかは疑わしい。内閣官房には核保有論者がいるそうであるが、日本国は核を持てるのか、持てないのか。
 日本の首相(?)はアメリカのイラン戦争の合法性については情報が十分でないから変弾を避けるとしていたが、政府は裁判所ではないから、手持ちの情報で判断しなければならい。ファシズム党のイタリアの首相でさえイラン戦争には異議を表明している。今の告愛豊では戦争は原則的に違法であり、例外的に自衛の名目の武力行使が許容されているだけである。アラン戦争がアメリカの自衛のものでないことは明白だから、イラン戦争の違法性は明確なのである。
 他方で日本の首相(?)はイラン戦争への自衛隊の派遣には国内法上の制約があると説明している。法というものをこのように便宜的に援用するということは特徴的であって、要するに政治的判断が欠如しているということである。だがこの首相(?)はトランプへの手土産として自衛隊の派遣を考え、補佐官に反対されたそうである。この首相(?)は参戦を手土産にしようとしたようである。
 イラン戦争は安保関連法で集団的自衛権を容認した際に、集団的自衛権を行使する可能性がある典型的な例として言及されていたケースである。自衛権というものは正当防衛のようなものであるから、他人の正統防衛を代わってやるということはありえない以上、集団的自衛権なるものは憲法違反の疑いがあるだけでなく概念的に成り立たないものである。それはともかくとして、こういう場合に自衛隊を出さないとすれば、集団的自衛権の容認など意味はないということであろう。
 日本の首相(?)は就任早々台湾有事に集団的自衛権の発動の可能性に言及してその見識レベルを明らかにしているが、半年間の成果は日中関係を悪化させ、俗な言い方をすれば国益を損ねている。その背景には国際政治への無知があるであろうが、旧統一教会の別組織の勝共連合的な時代遅れの反共意識だけは持っているのである。アメリカ議会での演説がキャンセルされたのは当然であろう。しかし首相の能力に欠ける人物が支持されているということは国民の政治的民度を示すものでもある。
 この首相(?)の幼稚な発言は自己中心的な極右には他者が見えず、国際政治を理解できないことを示すものである。よく似た例は先行者のアベが拉致事件に関して見せた反応に見える。この事件は拉致被害者の5人が一時帰国した際にほぼ解決される方向にあったが、当時自民党の副幹事長か何かをしていたアベが横やりを入れて強制的に永住帰国させ、以後拉致問題は全く進展していない。それは当然のことであり、一時帰国が妥当であるかどうかはともかく、外交的約束を一方的に破って外交などできるはずはない。私は初めからこのことを指摘していたが、誰一人として気づくものはなかったようである。もう手遅れであろうが、馬鹿一が拉致問題を解決したいのであれば、日本の首相はまず北朝鮮に対してアベが外交的約束を破ったことを謝罪することから始めなければならないであろう。
 この首相(?)は1月に突然衆議院を解散して総選挙にしたが、これは違憲クーデタと見られるものである。憲法第7条には天皇の国事行為として衆議院の解散が規定されているが、これは明治憲法にあった天皇の解散権に内閣の助言を加えたものに過ぎず、天皇が主権者でなくなった以上内閣に任意に解散権を与えるものではない。無論首相が恣意的に解散できるものではない。したがってこの私利私益的な解散は憲法違反の可能性がある。体液世代は訴訟などやりたくないが、現役世代は提訴すべきであったであろう。判決内容は予想しうるところであるが、少なくとも最高裁は解散の基準を示さなければならないであろう。
 この総選挙では自民党が三分の二の議席を占めることになった。15カ月前の参議院選挙では裏金問題がたたって自民党は過半数割れして首相は退陣し、解党的出直しをしなければならないと言われていたものである。ところが出直しどころか、首相を変えただけで自民党と金の問題など何もしないままに、自民党が大勝したのは国民の政治的民度を示すものであろう。この選挙は公約などよりも馬鹿一の方が「威勢」がよいというような印象論的な人気投票のようなものになったが、これは初期的ファシズムの兆候でもある。。与党に絶対多数を与えたらどうなるかというようなことは全く頭になかったことはこの国民の残念な政治的判断力の低さということになるだろう。。その結果元にそうであるように与党はほぼ何でもやれるようになる。有権者はそんなつもりではなかったのであろうが、これは有権者の愚かさの結果であるから自業自得である。野党の方では「中道」というものができたようであり、これは右と左の中間ということのようであるが、左もろくにないところに「中道」はないであろう。私はこんな選挙はボイコットしている。
 この選挙でも公約というものはあり、かつての政治改革の時にはマニフェストを読み比べなければならないと、学校の授業のようなことが言われていた。だが選挙というものも権力獲得の闘争であるから、あまり素直に見ることはできない。ことに与党の公約は甘い公約で多数を取り、選挙後は言われていなかった苦いことをやりかねないのである。こうなるとマニフェストは有権者を欺くおとりのようなものになり、選
挙の「信託」性は失われる。そうして日本人はごまかされの名人である。
 この選挙で自民党は食料品の消費税ゼロを公約に掲げていた。だがそれは多頭も消費減税を唱えていたためにそう争点をずらすために掲げたものであり、やる意思はなかったはずである。医師があれば軍事費増強の時のようにさっさと閣議決定をすればよく、その他はすべて単なる技術的な事柄である。案の定馬鹿一は国民会議を設けてそこで検討すると引き延ばし、難点を出させてつぶそうとし、成立しなければ会議に責任転嫁しようとしている。このことは消費減税に反対の少数党を会議に招き、減税賛成の少数党を招いていないことからも明白なことである。
 この会議の問題は本来国会で議論すべきところを第二国会のようなものを作り、しかもその構成員を与党の方で任意に決めるという似非会議を作っていることであろう。これは議会を弄び、代議制民主主義を掘り崩すものにほかならない。この首相(?)には民主主義のことなど頭にないであろうが、そういうあり方が可能なのは、それを支持する国民がいるからにほかならない。
 この選挙でさらに観察されるのは馬鹿一がSNSを多用する一方で、公開の討論というものを避けようとしていることである。握手して手を痛めたという口実の下に討論会を欠席しているが、「手話」でもするのであろう。アウラのないSNSではごまかしがきくけれども、討論ではごまかせないからであろう。つまりこの首相(?)には本質的に欺瞞が伴っていることが想像される。
 その背景にあるのはこの首相(?)の反主知主義であろう。すでに総裁に選出されたときに働き、働きというような非知性的な言い方をしている。実は裏腹に職務への覚悟欠けているのであるが。和風ロックは体制への随順の通過儀礼であるが、その非知性主義は質問を「いじわる」と言って拒否するところにも表れる。要するに討議に基づく民主主義を回避しているのである。
 こうした首相(?)の姿勢には女流統治様式の特性も見ることができる。公開の討議が苦手であるから謀略が使われる。策謀の一つのあり方は、討議ではなく、笑顔でチャームし寝技に移ることである(トランプとの抱合)。おそらくこの首相(?)は女性に特有の策謀家なのであろう(詐欺師とは言わないことにして)。だから女性社長はだめだということにもなる。
 こうしてこの首相(?)は少数与党を多数与党に転換するクーデタで絶対多数を獲得して国論を二分する政策を進めるそうであるが、アメリカのように国内を分断したいのであろう。その最初が国家情報会議であったようである。国家情報局はかつての特高の復活であろう。野党は国民を監視することはないであろうかと、生ぬるい質問をしているが、首相(?)はそれは「想定」していないというあいまいな答弁をしている。だが過激なデモには「関心」を持ちうるとも言っていることは看過できない。すでに警察は違法にデモ参加者の写真を撮っているが、これも合法化されるであろう。国家情報会議の法案は衆議院をすんなりと通過しているが、さらに殺傷兵器の輸出を認めることによって間接的に戦争に関与する死の商人国家への道を開いている。
 さらには国民が選んだわけでなく政府が選んだ有識者(?)会議で安保法制を見直しを進めようとしている。ここには「新しい戦い方」を検討するという「平和国家」にはありえないような驚くべき鈍感な言葉が見られる。ここには日本国家が「戦争放棄」どころか戦争をする国家になっていることが明確に原れている。こうした戦争国家への転換は「環境が変わった」というような単細胞的な頭でなされているようである。だが近年の戦争の勃発を少し見ただけで、その「環境」が愚かな政治的指導者の台頭と、それを支持する愚かな国民のナショナリズムにあることはすぐわかることであろう。安保法制を見直すのであれば、国家存立危機とか集団的自衛権というような拙劣な用語はまず撤回すべきところである。
 注意されることは、経済的に失われた30年の日本国もファシズムに移行する条件を備えているということである。すでに日本人第一主義、テンノー宣揚、軍事増強、国民監視の強化が着々と進み、第二期ファシズムの段階に入っていると見られる。現代のファシズムは笑顔とともにやってくる。歴史から学びたくないものはまた泣けばよい。古人は歴史は一度目には悲劇に終わるが、二度目は喜劇に終わると言っている。すでに喜劇の幕は上がっている。
 国論を二分する最終地は憲法の改正であろう。馬鹿一は改憲草案を「大好き」と言っていたようであるが、馬鹿一にとって憲法は猫に小判であることを正直に物語っている。違憲の疑義があることを重ねてきた自民党に憲法を問題にする資格があるかどうかは疑わしいところであるが、もともとこの国には法的原則が重みをもたないという伝統が存在している。原理原則よりも実際的な柔軟性の方が尊重されるのであり、基本的に非憲法的は国民であり国家なのである。
 こういう非憲法的な国において憲法が取り上げられる場合には奇妙な特徴的な現象が生じる。それは改憲論に見られるように、憲法を文字としてのみ見るという文字フェティシズムである。基本原則についての考えなど何もなく、ただどういうことを書くかということだけが問題になる。それは安全保障について何のヴィジョンもなく、憲法に「自衛隊」を明記するという議論に観察される。憲法を原則を定めるものであって、個別的な制度を規定するようなものではない。今の自衛隊は最初は警察予備隊と言われたものであり、それが保安隊に変わり、さらに自衛隊になったものである。何のヴィジョンもなく文字をいじるような矮小な議論をしているのは、まことに非憲法的な国家国民にふさわしい。自民党は党大会に自衛官を読んで国家を歌わせるというような自衛隊の政治利用をしていたが、自衛隊明記も一種の政治利用であろう。
 こういう非原則的な国は成文憲法はあっていないとも言える。なぜなら憲法を文字と見る場合、現実は変化するから憲法とのずれが生じ、憲法は建前に過ぎず、実体が本音になることは目に見えているからである。こういう非原則的な国では同じく実際的なイギリスのように成文憲法などなくして慣習で貫くところもあるのである。その場合は文字と実体の齟齬は生じない。
 しかしすでに憲法がある国においてはそうも言っておられない。当面に問題になっているのは第9条であろうが、現実に合わせてどういう文字を入れるかというような子供じみたことでなく、そこでまず考慮すべきことはどういう安全保障の原則を考えるかということである。「力による平和」というのは憲法の基本的な精神ではなく、また今日以降の世界の安全を保障するあり方ではないであろう。世界において戦争が違法化されつつなおなくならないのは、今の世界は基本的に主権国家の併存というあり方をしているためである。主権国家にはそれを越える権力は存在しないから、利害の対立は最終的には武力対立としての戦争にならざるを得ない。確かに国際連合には安全保障機能が与えられているが、21世紀に入っても戦争が噴出して国連が無力を示しているのは、国連が基本的には主権国家の連合だからである。主権国家は国連にも主権的な対立をすることができ、安保理事会の常任理事国は当然そうである。安全保障理事会が機能不全になっているのは直接的には常任理事国が拒否権を持っているためであるが、これらの国が拒否権を放棄することは当面考えられず、国連には限界が示されていると言えよう。
 国連が機能しえない現在、持続可能な世界の安全を保障する体制はカントの世界共和国のあり方しか考えられない。世界を一国とすることであり、そうすれば内紛はあっても戦争はありえないことになる。平和の補償のためには神でない人間の国においては何らかの強制力が必要であろうが、それは軍隊ではなく、基本的には警察の性格を持つものである。それは実際的にはこれまでの諸国の軍隊を共通の世界の主権的な政府に譲渡することであり、個別国家の主権は世界政府に集約される。
 こういう世界共和国などはユートピアであるという安易な見方はあるであろうが、カントも言っていたように一挙に世界共和国に至るのには無理がある。このために次善の策としては融資の国がそうした主権共同体を作ることであり、それを拡大していくことである。アメリカや中国やロシアなどは最後まで主権を手放さないであろうが、その先は予測できない。
 こうした主権共同体は実は日本国憲法第9条に内在するものである。個別国家の軍隊を放棄して主権共同体に移譲することである。EUは不十分ながら主権を制限しており、世界共和国構想の初期的段階にあると言ってよいであろう。こうした連合国には日本やEUさらに韓国やインドなどの非同盟諸国がまず参加しうるであろう。このように考えるならば日本の憲法第9条は将来の世界の安全保障の原理を示すものであると見ることができ、またそのようにすべきなのである。
 しかしここに厄介なことがある。それは古来日本人はそうしたヴィジョンを持ったためしがなく、その行動様式は他人の顔色を窺って動くものであり、日本国はそうした大規模なイニシャチブを取ったことがないことである。日本国民は自分の実力以上の憲法を持たされて四苦八苦しているのである。
 積極的な意味での憲法改正がありうるとすれば、それは象徴天皇制を廃止することだけであろう。急に話が変わった感があるであろうから一言付言することにする。日本の丸山眞男は西洋のハーバーマスの位置にある人物であるが、自分に追随するような弟子は持ちたくなかった丸山は追随しない私には西洋よりも日本のことをやらせたかったようである。次世代の研究者が江戸時代でも「雅」というような美的な用語でノンポリ的な日本政治思想史をやっていたようであるから、私も日本のことを専攻すべきであったかもしれない。しかし私は東洋にはインドや中国には巨大な思想的遺産がある一方、日本にはちゃちな思想しかないから(空海はやや例外的だが密教の制限を受けている)西洋の方に行ったのである。最初から日本列島に限定していたら一段と馬鹿になるかテンノーに絡み取られていたであろう。日本政治思想は東洋政治思想の一コマにするくらいが妥当なところである。しかしヨーロッパに留学して私は日本のこともわかってきたのである。東アフリカに発生しはホモサピエンスは世界に拡散したが、極東の日本列島はそのもっとも遠隔地であり、かなり特殊な政治文化を育てることになった。それは論理的というよりも情緒的な年限を作ることになり、人々は自己を主張するよりは他人の顔色を窺って同調するという他人指向(リースマン)の行動様式を生んでいる。こうしたあり方は共同体を保全し、外からは静穏な国として好ましいところもあったが、それは国民の主体性の欠如と人権の不在の反面でもある。こうした行動様式の結晶であり、象徴するのがテンノーであったという基本問題が浮上してきたのである。だが今から考えると東も西もなく、分割は便宜的なものにすぎず、専攻などは問題ではないのである。丸山とハーバーマスという東西の学匠のゼミナールで学恩を受けながら何も現実に関わることができなかったことは自ら恥じるだけである・もっとも私も日本のことに何もしなかったわけではないというアリバイにペンネームで細々と夜店は出していたのである。このコラムもその一つであるが、そろそろ終わりに近くなっている。
 遠回りになったが、以上のような観点から、世界政治と日本政治、憲法第9条と第1条の連関が明らかになってくる。憲法で示唆されている世界共和国を実現するためには、その行動様式上の障害になっている象徴天皇制の廃止が課題になってくる。第1条と第9条は両立しない。日本国の課題に対応するためにはこうした日本を超克しなければならず、それを通俗的なスローガンに表現すれば「日本をぶっこわせ」ということになろうか。だが国民の意識がそこまで行っていないことは確かなのである。
・・・・・こういう現実的にはやや空しいつまらないことばかりに関わっていられないので、私は野川に釣りに行き、本業により近いイタリアに行ったのである。

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 現実があまりに馬鹿馬鹿しくなると仮想的な世界により意味が出てくる。退役世代にとって現実よりはあの世の方が重要になり、つまるところ生死だけが興味深いものになる。わが友ジュゼッペはこのことに若い頃から関わっていた。
 シノーポリをテーマとする場合、2つの素材を看過できない。
 第1はオペラ『ルー・サロメ』である。このオペラはミュンヒェン国立歌劇場の監督をしていたゲッツ・フリードリッヒの依頼によるもので、上演日も決められていたから糟糠の間に作られたものである。
 台本はカール・ディートリッヒ・レーヴェであるが、シノーポリもその作成に関与していたようである。登場人物はサロメの他アンドレアス、パウル・レー、リルケおよびニーチェといった当代の文人たちであり、シノーポリも熟知している者たちである。フロイトの教えを受けドイツで最初の先進分析医となったルー・サロメの『ニーチェ』を読んで私は自分を含め日本の思想史なるものはなっていないと感じさせられたものである。
 この台本は上記の文人たちのテキストからの抜粋を集めたもので、セリフなどほとんど問題にならないオペラが多い中で、哲学的な文章が歌われるという異色のものである。発狂したニーチェがピエロになって妙なことを言っているところもあるが、概してドラマのようなものはほとんどなく、理解するには困難なところがる。
 主人公のサロメはロシアの農奴解放の年に生まれた自由な人間であるが、4人の求愛者に取り巻かれ、拘束されるところに自由があると信じているが、終わりの方では自分の愛は常に死と結ばれており、生を肯定することは死を肯定することであり、そこでは自分の目は他者を見ないと言われて終わっている。これは神の視点を求めるようなものであり、やや反動的でシノーポリのパルジファルのようなところがある。
 音楽的にはシェーンベルクの短編モノ・オペラ『幸福の手』を思わせるところがあるが、基本的には後期ロマン派的と言えよう。私はフェニーチェ劇場の録音を聴いただけであるが、やや騒がしいものである。しかしシノーポリ自身、これは様式化されない「爆弾」のようなものであり、新音楽つまり現代音楽に一石を投じようとしたものではないとしている。
 音楽的、上演的にオペラの時代は終わっていると見なければならず、初演されただけでお蔵入りになるものがほとんどの中で、このオペラは何か所で上演され、少なからぬ上演の申し入れにもかかわらず、後半の改定が必要があるとして以後は許されなかったようである。改定は実現せず、ルチーア・ポップとホセ・カレーラスを歌い手とする組曲のCDが出ただけである。
 このオペラが成功作であったか失敗作であったかを言うことは難しい。しかし最後の『希望の合唱』がニーチェのワグナー批判を呼びかねないところがあり、それは直接的には台本作家の問題であろうけれども、シノーポリとしてもおそらく全くは納得しがたいところはあったであろう。
 第2の素材は『ヴェネチアのパルジファル』というシノーポリの著作である。これはフェニーチェ劇場でのワーグナーのパルジファルのリハーサル後、夜のヴェネチアに彷徨したというエセ―であり、シノーポリにおける音楽と考古学との連関性を物語るものである。
 ニーチェの抗議を知りつつもシノーポリはこの楽劇を好んでいたようであり、その焦点となっているのは死と再生の連関性である。そうしてこの死と再生ということはヴェネチアの年の構造に象徴的に組み込まれていると見られる。この死と再生ということがパルジファルとヴェネチアの結節点なのである。
 こうしてシノーポリはヴェネチアの迷路に出るのであるが、彼はそこでよくあるような陳腐なことを言っているのではない。彼はヴェネチアの迷宮はクレタの宮殿の迷路と同様に死から生への脱出の意味があり、そこには死から生へのより高い段階への入会(通過)儀礼の意味が織り込まれているとする。それは多くある橋についての言えることである。
 こうしてシノーポリはヴェネチアという都市の構造を問題にするのであるが、ヴェネチアは宇宙の中心の模造としての都市の原型のようなものとされる。カナル・グランデはしばしばS字型と見られるが、シノーポリによれば二重螺旋であり、二つの半円弧が組まれたものであり、それがさらに分割されて4つの円弧ができる。彼はこの4象限に即してヴェネチアを彷徨するのであるが、そこで重要性を持たされているのは円弧の軸の交差点であり、それはサン・トロヴァ―ソ教会の井戸であるとされている。それは天と地上と地下を貫く都市の中心であり、それがある広場の階段数はピタゴラスの四元数を示しており、まさしく宇宙の模造なのである。ちなみに私はヴェネチアには水がないから雨水をためて生活しているという日本人の本を見たことがあるが、ヴェネチアには少なからぬ井戸がある。もっとも内陸から水道が引かれている現在、その多くは鉄の蓋があって使われていないが自然湧水しているところもある。。
 途轍もない議論をシノーポリは、ヴェネチアの歴史的考察なのではなく、あくまでもイデーの痕跡をたどる寓話的な解釈であるとしている。それは歴史的というよりも考古学的な、また生死の問題についての哲学的な考察ではなく、あくまでも象徴論的な考察である。シノーポリは死というものを一応は生物学的に考えており、それだけでは収まらないためにさまざまは宗教などが考案されたのであるが、彼はその宗教的儀礼のようなものを問題にしているのである。哲学的に生死を考えるのであればより複雑な思考が必要であり、おそらくは生死を越えようとする禅などはそのもっとも洗練されたものになるであろう。しかしそうした哲学や宗教が自明なものでなくなっている今日、こうしたこうした考古学的、象徴論的な議論も全く無意味とは言えないであろう。シノーポリは精神医学に関してはフーコーに言及しているようであるが、考古学的な面では構造主義に共通の要素もあり、またその問題点もあるようである。
 しかし都市の問題を生死の問題に連関させてみようとするシノーポリの議論にはカバラ的な神秘主義の要素があり、相当に分かりにくいものである。他方で日本で出版されている本は分かりやすいだけでつまらないものばかりだけであると思っていたから、私は暇つぶしのそれとは次元が違うこの本を日本語に置き換えていた。そうするうちに私はどうしてももう一度ヴェネチアに行かなければならなくなったのである。 とはいえ私は10時間以上も飛行機に乗っていることに耐えられなくなっていたからもう数年前からヨーロッパには行かないことにしていた。
 そのうち私は往復とも寝台で行けるビジネスクラスのティケットを手に入れたので、禁を破ってヴェネチアに行くことになった。だが井戸の石段を見るだけの何というビジネスであるか。円安で多くの日本人はヨーロッパに行けなくなっており、この十年でユーロに対して円の価値は半減している。しかし円を見限ってユーロ建てにしていた私には影響はないのである。サルトルに「最後の旅人」という副題の『アルベルマール王妃』という断片があるが、これは単にヴェネチアへの最初の旅行のメモにすぎない。だが彼は目が見えなくなってからもヴェネチアに入っていたそうであるが、それはラグーンの波の音を聞くためだけであったであろう。私もその点だけではサルトルの水域に入っている。
政府が戦争国家へ進んでいても嘲笑するほか何の手もない退役世代は、戦死は現役世代に任せて、不良化し、無駄なことしかやらなくなる。
 今のヴェネチアはテーマパークに過ぎなくなっているが、私はまずシノーポリの足跡をたどることにした。そうして彼の記述はかなり正確なものであることが分かった。例えば死の島サン・ミケーレに向かい合ったカッレ・ロンガ・サンタ・カタリナという細長い路地の5000番地にはシノーポリが書いているような高い壁から木の枝がのぞいている。そうして最後にはサン・トロヴァ―ソ教会の井戸の階段に行っている。だがその階段は一段、三段、三段、四段であり、四元数ではなかったのである。私の感想はやれやれということである。
 フェニーチェ劇場ではヴォツェックがやられている。このオーケストラはドイツ音楽を完璧に演奏する。だが軍医や上官がいかにも悪人的に演じているのはいただけない。普通人がファシストになるということが肝心なのである。
 ポルトガルのオヴィレイラ監督の最晩年のマジック・ミラーという映画の終わりの方でサン・マルコ教会の内部の映像があったが、私はヴェネチアに何度来たか知らないけれども見覚えがなかったので寄って見ることにした。だがさして広くないマルコ教会をぐるっと回っても見当たらない。二階のテラスへ出てカサノヴァが脱獄したというドージェ宮殿の鉛の屋根を見た時、誰かがうわさをしたのであろうが私は急にくしゃみをした。するとたまたま記念撮影をしていたどこかの国からの観光客がびっくりしてi like youと叫ぶ・・・・・これはすべてMay Fool?
 シノーポリの著書はほとんどの人にはチンプンカンプンのもので今の日本国の出版状況からすれば公刊しないことに意味があるであろう。訳稿は下記に保存している。ただし注は反映されていない。
https://word.cloud.microsoft/open/onedrive/?docld=9131E89293F11E89293F11E03%21s7881b3fc7e1d43a38816c741d8487c

quo vadis?2025年12月24日 13:49

5,6年前に『天皇制国家の古層』という小著を出版し、たいして反響もなかったものだから放置しておいてももよいものであるが、出雲伝承をあまり考慮していなかったことがあったから、若干の補足と蛇足をしておくことにしよう。
 
Ⅰ 現在出雲伝承を主に伝えているのは大元出版から出されている一連のものであり、著者は不詳であるけれども出雲王家の末裔に連なるもののようである。誤伝や粗雑なところも見受けられるが、契丹古伝とともに日本古代にヒントを与えるものがあることは否定できない。
 出雲伝承によると出雲族は約4000年前にインドからシベリアを経由して日本列島に到達したクナ族であるということである。年代の制度はさておき『マハーバアーラタ』にはクル族の王族がヒマラヤを超えて北に行ったという記事があるから、ありえないことではない。出雲族の宗教の核心は幸ノ神を信仰する子孫繁栄ということにあるようであるが、その半面でインド思想を特徴づける法(ダルマ)の要素は乏しいようである。クナ族はドラヴィダ族といわれ、クル族はアーリア系のようであるが、後者は法と実利(アルタ)と性愛(カルマ)を重視している。出雲族だけでなく以後の日本思想に特徴的なのは法の要素の希薄ということである。
 出雲伝承によると出雲族は三内丸山遺跡などを経て出雲に到着したということであるが、三内丸山ということは後知恵であろう。だがその物見やぐらと大社建築が無関係とまでは言えない。ともかく出雲族は縄文時代の日本列島に到着している。

Ⅱ 日本人がどこから来たかということは一つのテーマであり、今年は国立科学博物館でそれをテーマとする展示があったが、縄文人どこから来たかという点は明らかにできていない。博物館ではDNAの分析で縄文人がどこの地域と親縁関係があるかというようなことを示そうとしたようであるが、いうまでもなくDNAが似ているということはそこから移動したということではない。博物館では縄文時代に再婚や養子縁組などという観念があったというような滑稽な展示もなされている。単純な科学は文化人類学的な監修を要するということであろう。いずれにしても縄文人は直接的に現代人につながるものではなく、その意味では縄文人は源日本人ではなく、むしろ先住民といった方がよい。
 国家が形成されてくる弥生時代の日本社会は母系制であり、通い婚が基本であるとされている。ドラヴィダ人も母系制であり、縄文時代に渡来したと考えられているモンクメール族もチベットから東南アジアに移動した母系制社会であったようである。
 しかし私には母系制や通い婚のイメージが乏しく、日本人がほとんど行かなくなった今年は、荒瀬豊の論文などを見て母系制が残っているという中国雲南省のナシ族の麗江に行くことになった。しかし今の麗江はほとんど漢民族化しており、母系制の片りんも残っておらず、その宗教であるトンバ教もほとんど消滅しているようであった。永寧には通い婚が残存しているようであったが、時間の制約で行けていない。
 ナシ族が縄文時代の日本列島に渡来したということはほとんどあり得ないことであるが、逆に母系制的であったと予想される縄文社会の理解のためにはナシ族的社会は参考になりうるであろう。チベット・ビルマ語族に属するというナシ族はモンクメールに由来する説もある。つまり雲南省には縄文文化の要素が保存されている可能性がある。しかし母系制は広く世界に流布していたものであり、母系制や通い婚についてはフィールドワークなどをしていない高群逸枝の『招婿制の研究』などに豊富な解明があったのである。なおナシ族には洪水伝説を含む創世神話があり、それは『日本書紀』と似ているという説がるが、ナシ族の説話はリーダーを含む民族の素朴な由来を伝えるものであって、支配の正統化を図った『日本書紀』とは性格が違うものである。

Ⅲ 弥生時代には初期的な国家が形成されてくるが、インドですでに国家をなしていたと考えられる出雲族は最も早い時代に王国を形成していたと考えられる。出雲には郷戸家の西王国と富家の西王国があり、主王は大名持、副王は少名彦と呼ばれ、交互に就任していた。西谷墳丘墓の四隅突出墓軍は紀元2世紀中葉から3世紀中葉のものであるが、西王家の墓であると考えられる。そこには多分大国主の墓もあるであろう。出雲の伝承によれば大国主が大名持の時に出雲は物部の一団に襲撃され、大国主と少名彦は亡き者にされたとされている。
 出雲伝承で最も注目されるのは、他の伝承にもないわけではないが、徐福を便宜的に物部であるとしていることである。直接的にはニギハヤイヒが宗像の市杵島姫を迎えて物部家になったとされる。物部の出自は明確ではないが、もし徐福が物部になったという仮説が有効であるとすると日本古代の謎はかなり解明されることになろう。
 道教の方士であった徐福は秦の始皇帝の命令で蓬莱山の不老不死の薬草を求めて500人とか3000人の大集団で2度にわたり日本列島に渡来している。この集団は二度目には佐賀に上陸しているが、そこだけでなく丹後や熊野や清水などに手分けして上陸し探求したようである。むろん薬草などは発見できていないが、本来は帰国することになっているから徐福を名乗ることはできず、物部を名乗ったのであろう。物部とは神事の集団であり、徐福の専門でもあった。西日本を中心に徐福の上陸の伝説が多く存在し、またそれと並行するかのように物部の地名があることは徐福と物部の連関を物語るものであろう。
 むろん物部には多様な要素が窺われることは知られていることであり、おそらく九州に渡来していた様々な集団を包摂し、さらには朝鮮半島からの付与族もその一部になったと考えられ、ともかく物部は一つの氏族ではなく、氏族集団である。徐福は物部集団の核になったのであろうが、徐福集団自体多様な集団であったようである。その編成は『先代旧事本紀』に示されるところであり、同様に出自が不明確な尾張氏のその幹部をなしている。物部の祖先神のニギハヤイヒと尾張の祖先神の天火命が同一化されることになるのも不思議ではない。そうしてローマとともに世界の先端的国家をなしていた秦に由来する徐福が紀元前3世紀末に渡来したことは、古代日本における国家形成に大きな影響を及ぼしたであろうことは予想に困難ではない。
 もっとも出雲の伝承は列島外からの渡来者をすべて物部とする傾向もないではない。伝承では徐福をスサノオであるとしたりしているが、大国主などを襲った物部一派はおそらくはスサノオ集団であろう。また伝承では天孫氏(後に天皇氏といわれる)も物部としており、それがいわゆる神武東征をしたことになっている。天孫氏が最初に国を作ったとしながら出雲に国の譲渡を求めるのは矛盾することであるが、天孫氏が目指した日本列島には実は出雲系の国があったのである。
 天孫氏は元来は南越のムス氏に由来するようであり、秦の制服に伴って朝鮮半島に移動し、昭明県にいたようであるが、卑弥国に辰王権を奪われ伊都国に移動したようである。伊都国は高句麗との関係があるとされていたからであろう。伊都王墓からやや離れたとことにある平原遺跡は天孫氏の墓の可能性がある。この墓は女王の墓であるとされており、天孫氏も当初は女王を持っていたのであろう。この王墓には巨大な内向花文鏡が副葬されているが、これは三種神器の八咫鏡とほぼ同じものとされている。したがって平原王墓アマテラスの原型であり、日本列島における天皇氏の出発点であったといえよう。天孫氏の祖先に刃契丹古伝で中原でも活躍したという寧義氏がいたようであるが、歴史神話の執筆者はこのじんぶつを天孫降下のニニギとしのであろう。天孫降下とは無論朝鮮半島から渡来したということである。
 大和の話に戻り、出雲の伝承によると、大国主などが遭難した後、少名彦であった事代主の妻であった三島溝杭の娘の活玉依姫などが三島にいたが、事代主の息子のクシヒカタ(奇日方)は大和を開拓することになり、事代主を祭る鴨都波神社などを建てたとされている。郷戸家も葛城に進出してアジスキタカネヒコを祭る高鴨神社を建てている。クシヒカタは三輪に移り、その子孫が磯城県主となり、この富(登美)家は磯城家とも呼ばれていた。
 しかし大和にはすでに尾張氏が入植していた。天火明の息子の香語山は単語を開発していたが、その息子の村雲は河内を経て大和に進出し高尾張に本拠を置いて尾張氏と呼ばれたが、のちに三輪の穴師に移動している。大和において最初の実質的な王であったのはこの村雲であったといってよい。磯城家は尾張氏に妃を提供する位置にあったが、母系制社会にあっては母方の影響力が大きくなるのは自然であり、やがて磯城王朝と呼ばれるものができることになる。これが邪馬台国の始まりであると言ってよい。
 そこに天孫氏のイワレヒコ(神武)が東征することになったと伝えられる。この集団はは和歌山で長兄の五瀬を失い、熊野沖ではイワレヒコ(佐野)は兄弟の飯稲と三毛入野を失い東征はぼとんど挫折したようである。古事記、日本書紀では高倉下の助力によって挽回して大和を制圧し、橿原で即位したことになっているが、これは疑わしい。高倉下は村雲の弟であり、征服者に協力することは考え難いことであり、実は高倉下に撃退されたのであろう。神武だけでなく、国を最初に統治したのが崇神とされているのは、神武の即位が文書の上だけであることを知すものであろう。神武即位が考えにくいことは、それによって王朝が形成された形跡はなく、その後は実は先住の物部、尾張氏や磯城家などから成る邪馬台国が生まれているからである。この時代欠史八代と言われる。

ⅳ いわゆる神武東征は失敗したとしても、その後継は大和の南に進んで狗奴国を形作っていたと考えられる。邪馬台国と狗奴国は全く敵対していたわけではなく、その間には通婚関係もあったようである。イワレヒコの子孫が磯城王家の娘と婚姻関係を結んだ場合、当時は母系制の妻問婚であり、天孫氏が母系制であったかどうかは不明であるものの、天孫氏は少数集団であったから、母姓を継承し、その子も母系集団で育てられたから、天孫氏は次第に磯城王家に吸収されることとなったであろう。天孫氏の息子が皇后を「娶る」ということはありえず、そのいわゆる宮都も妻の実家に過ぎなかったであろう。
 記紀はいわゆる欠史八代を後に一般化する父系性の視点で王統が継続したかのように記述しているが、そこに実体はなく、王朝としての事蹟の記述がないのは当然のことになる。その前半部は孤奴国の主張の可能性があるが、後半部は邪馬台国つまり磯城王朝の首長であった公算が大きい。磯城王朝は出雲系であったから、その首長は大物主といわれてもよいであろう。
 しかし婚姻関係からしても磯城王朝と狗奴国との境界は判然としたものではなく、両者の関係は流動的なものであったであろう。このために出雲系の要素と天孫系つまり日向系との間には対立関係が生じることともなり、それは磯城王朝の動揺となって表面化する。それがいわゆる倭国大乱の背景であったようである。
 したがって倭国大乱は磯城王朝の中で出雲系の要素と日向系の要素の対抗として考えられる。そこには単なる勢力争いだけでない宗教的な要素もあったようである。出雲はスサノオをバックとするものであり、日向系はアマテラスをバックとしており、それは祭祀的には銅鐸祭祀と銅鏡祭祀の対立になる。
 倭国大乱がピークになったのはフトニ(孝霊)の時代であったようであり、この時、銅鏡祭祀に傾斜した孝霊は大和を追われ吉備に移動したとされている。それに同行した吉備津彦兄弟が孝霊の子であるかどうかは不確かである。彼らはさらにに出雲を攻撃し、孝霊は孝霊山の麓にある妻木晩田遺跡で死亡したとされる。
 倭国大乱は磯城王家の分家である大田田根子(出雲伝承では太田種彦)が孝霊の娘の百襲姫と組んで銅鐸祭祀を継続し、銅鏡祭祀系を追放して終わっている。魏志倭人伝では倭国大乱は邪馬台国が卑弥呼を共立して終わっており、この点で出雲伝書とは異なっている。しかしいずれにしても倭国大乱は邪馬台国の一応の勝利で終結しているのである。
 出雲伝承では東征を企てた天孫氏グループは出雲グループに回収されることによって挫折し、このためにいわゆる第二次の神武東征が企てられたとしている。この伝承では邪馬台国は九州、日向にあり、天孫氏は西都原で体勢を立て直し、また前回の大和攻撃が大和の巫汝の働きによるところが大であったことにかんがみて、宇佐の豊玉姫と提携し、これが卑弥呼であるとされる。そうして崇神に当たる人物は中途で死亡し、推仁が大和を制圧したとされている。これは通常の説と相当に食い違うものであるから、それ以上の言及を避ける。
 通常の見方では崇神が大和に侵入し、新たに銅鏡祭祀を導入し、そのために先住勢力との間に相克がなされたとされている。この対立が大きなものであったことは、開化の兄である大彦が銅鏡祭祀を嫌って近江に移動し伊勢遺跡を作ったとされることにも示される。この遺跡は2世紀に突然生まれ3世紀に突然消滅している。つまりこれは銅鐸祭祀を継続するために人為的に作った施設であり、居住のためのものではない。しかし時代は銅鏡祭祀の時代に移り、ほど近い大高山遺跡には列島最大の銅鐸を含む大量の銅鐸が埋納された。これは銅鐸祭祀の終焉を告げるものであり、大彦は東北にさらに移動して安部氏になったと伝えられている。
 同様のことは出雲にも生じており、加茂岩倉遺跡には列島最大の39基の銅鐸が埋納されているが、これは天孫氏勢力の接近を前にして銅鐸を放棄したものであろう。こうして天孫氏の支配の拡大とともに銅鐸祭祀も終わりを告げる。
 出雲王朝についていえば、崇神は出雲の宝を見たいと要求しているが、宝を見るということは服属の要求である。出雲振根は自分が不在であったときに宝を提出した弟を殺したが、崇神は吉備津彦などを派遣して振根を殺している。こうして出雲王国は崩壊したが、出雲は国を譲ったのではなく、暴力によって失ったのである。

Ⅴ 動乱の2世紀、邪馬台国の興亡の3世紀に続いて謎の4世紀になるが、これについてはもはや出雲伝承は存在しない。垂仁の後継は断絶し、景行とされる人物は架空のものであり、それは推人の子や武内宿禰の父の武雄心や各地で跋扈していたヤマトタケルなどを一括して景行という人物を捜索したのであろう。この世紀は中国に施設を贈るような統一的な権力は存在せず、大和王朝などはありえないから王統はありえず、騒乱でないとしても多頭併存の体制であったのであろう。
 こうした状態は4世紀末の応神の渡来によって終止符が打たれ、一応統一的権力が生まれたようである。そうして前体制との連続性を保障するために神功皇后というフィクションが作られる。この皇后は妊娠中であるにもかかわらず三韓征伐を試み、九州に帰国して応神を生んだということになっているが、これは応神が九州を経て渡来したということであろう。
 この応神王朝も5世紀末には崩壊し王統は断絶したようである。そこに北陸とかで応神の5世孫と言われる人物が発見され、継体が即位したとされている。これには疑問があったようで継体は河内で即位後20年後になってやっと大和に入ることができている。
 応神5世孫はかなりお粗末な説話であり、実は大和に人質になっていた百済の昆支王の息子の一人が継体に仕立てられた公算が大きい。この息子の長兄はすでに百済の城東王になっており、その「男弟」が大和の大王に就任したのであろう。昆支の兄は百済の武寧王であり、詳細な論証は省略するが、ここには物証のようなものも存在する。隅田八幡神社の人物画象鏡は斯麻つまり武寧王が大和の忍坂に人質になっている「男弟王」に長寿を祈って河内の直などに作らせたものであるが、大和の次期大王に目されていた継体にエールを送ったものであろう。河内直は継体の即位に尽力した人物であり、河内の国造であったのであろう。継体の陵墓は高槻の今篠塚古墳であるとされているが、今城とは今来つまり新たに渡来したという意味であり、継体の素性を物語るものである。
 こうして継体は百済の武寧王の従弟であったことになり、それは継体の政策が百済一辺倒であったことからも裏付けられる。以後の天皇家は基本的には継体を継承しているが、したがって日本国の天皇家は百済王朝の分家なのである。
 日本の天皇家が以後1500年にわたって継続したのは、その固有のメカニズムと切り離せない。テンノーは神聖化されるとともに絶対化されるが、それが継続するためにはテンノーは実は非政治的主体になり、単に担ぎ上げられるだけの神輿になるということである。そうでなければテンノーも政治的責任を取らなければならない存在になる。テンノーが不可侵であり責任を取らない存在になるということは、テンノーが逆に没主体になるということであり、テンノーは空洞化することによって自己を維持する。こうしてテンノーは単に祭り上げられる存在になり、その実権は藤原を先駆とする臣下が振るうことになる。しかし臣下はまた最高権力ではないから究極的な責任をとるものではなくなる。ここにテンノーに象徴される、没主体的で、相互に依存し、それゆえ体制に順応する,[お」が付くめでたい独特の政治文化が生まれる。
 かねてより皇統の安定的な継承ということが問題にされている。テンノーとは一般的に言えば皇帝であり、民主制が普遍化した今日では皇帝を維持しているのは日本国だけであり、日本の特性と限界をなすものであるから、日本人の精神的実の生涯になっている天皇制が消滅するに越したことはない。だがいざとなれば養子を取ればよいのであるから、皇統断絶というようなことは架空のテーマに過ぎない。しかしそういうテーマが蒸し返されるということは、主体の意識の乏しい日本人の依存心の所在を示すものであろう。
 無論こうしたテンノー体制の存在は、それを支える人民があったからである。それはすでに魏志倭人伝が、倭人の上長あるいは権威に従順な性格として観察していたものである。倭人はおとなしいロバのような存在だったのであろう。ここにテンノーと、同じように主体の性格に乏しいロバ的臣民のシステムという日本国独特の政治体制が生まれることになる。こうしたあり方は秩序の安定に寄与し、結果的には他国からの侵略を防ぐものとなったが、それは国民の没主体性という代価を払うものでもあったのである。

Ⅵ テンノーの支配は暴力や人民の受動性だけでなく、意図的な教化、教導によってなされるものである。ここに古事紀や日本書紀といったテンノー支配を正当化しようとする著書が生まれることになる。これらは歴史書という体裁を持つが、言うまでもなく支配の正当化のための政治的な企図であると言ってよい。
 テンノー支配は基本的には日本国はアマテラスの子孫が支配すべきであるとするアマテラスの勅命によるものであるとされている。それは要するに神話ということであり、テンノー支配が神話に立脚しているということは、支配の正当性根拠はないというに等しい。最初に神話が置かれ、後はそれが継続しているということが正当性の根拠になる。したがって記紀の叙述は万世が一系であることをもっぱら論証しようとするものになる。しかし万世一系でないことは容易に明らかになることであり、このために記紀の叙述は歪曲や捏造がおびただしいものになる。
 万世一系が破たんした場合、テンノー支配の正当化は、マックス・ウエーバーの正当性の分類においては伝統主義的正当性によるほかないことになる。こうしてテンノー支配の正当化は人民の保守的な行動様式とメンタリティに依存するものとなるのである。
 その間に明らかになるのは、日本においては政治的支配の根拠に正当化あるいは規範原理が極めて乏しいことである。古代ギリシアやローマにおいては政治には従うべき法(ノモス)があるという観念があり、インドにおいても法(ダルマ)に従うことは基本的陽性であり、中国においても皇帝は「天命」に従わなければならないとされていた。
 これに対して日本においては支配は自然所与的であって、そこには従うべき規範原則というものが基本的に希薄である。普遍的規範に変わるも穂は力や便宜や「勢い」のようなものであり、規範的な要素は正直や誠といった心情的な倫理にとどまるものである。この規範的な原理は端的には法ということであり、日本の政治には法の拘束力が弱いという特性が近代にいたるまで一貫している。その背後には人民の法的な思考が不得意であるというという一般的な特性が存在する。法的思考というのは直感的な思考ではなく、個別的なものを一般的なものに包摂し、普遍的なものを特殊的なものに適用するという操作的な思考のことである。法的原則が希薄なところでは、状況主義が支配的になり、臨機応変の変化が可能になる一方で、憲法からヘノコを経て原発に至るまで、何一つ筋の通ったことができない。
 こうして日本の政治的支配においては支配の正当性を問いこと自体が消極化することになる。その背後に人民の受動性と保守性があることは言うまでもないことである。無論こうした支配にあってもたまには反逆の例が欠けていないが、それは多くの場合間欠的なものであり、体制そのものをといまでに至らない「片隅異端」(丸山眞男)にとどまることになる。支配体制にとってはこうした片隅異端はガス抜きであり、適度に存在した方が支配の安定には望ましいものである。これは思考の側面では論理的というよりは情緒的な特性を持つものであり、それは前頭葉の構造によって規定される部分があるを否定できない。とすると将来は悲観的なものにならざるを得ないであろうが、習慣と訓練により前頭葉も変化するものである。
 そうした国民的前提の下でテンノー支配の正当化を試みようとしている記紀の叙述には若干の特性が見える。それは政治目的のための歪曲とは別にまず偽善として観察される。出雲は暴力的に服従されることになったが、出雲の「国譲り」と表現される。20世紀になっても、例えば和辻哲郎は、テンノーは支配しようとしたのではなく、人民が自発的に服従したのであると説明する。また孝霊や吉備津彦は大和から追放されたが、それは吉備に進出したと説明される。また大彦は崇神の銅鏡祭祀に反発して近江に銅鐸祭祀施設を作ることになったが、これは崇神が四将軍の一人として大彦を北陸に派遣したと説明される。こうした話法は対面維持語法あるいは受動的行為を能動的な行為であったとする主客倒置語法と言ってよいであろう。
 記紀の叙述は歴史学の企図ではなく、あくまでも政治的な目的のためのものであるから、こうした叙述法は避けられないことであろうが、それは中国正史のあり方とはかなり違うものである。記紀の執筆者は要するに御用史家であり、歴史家ではない。しかし彼らは後の歴史家の先駆であり、とりわけて御用学者の先駆である。最初の歴史敵執筆者がこのように歴史を政治目的に従属させていることは、その後の歴史学にとってやや懸念されることになろう。

Ⅶ このようにして生まれたテンノーの支配体制は中世や近世においては有名無実なものとなっていたが、明治維新とともに復活することになる。明治維新は近代の市民革命ではなく、テンノーという古代的な原理を再利用することによって近代のチャレンジに対応しようとし、ここに優れて天皇制国家と言われてよいものが成立する。
 しかしこの古代と近代の原理を折衷しようとした試みに矛盾があることは明らかであり、この体制は第二次大戦において瓦解する。これは近代国家と資本主義が抱える矛盾をテンノーを絶対化することによって解決しようとしたものであり、ここに天皇制ファシズムが生まれる。これはヨーロッパのファシズムとはかなり異なっている。イタリアのファシズムやドイツのナチズムはムッソリーニやヒトラーといったデマゴーグが暴力的は支配体制をもたらしたものであったが、日本のファシズムはテンノーの名によって国民が自縄自縛になり、自分から圧政に従ったようなものである。その帰結が太平洋戦争であったが、これは誰が明確に指導したものではなく、その相互依存体制のもとで戦争になっちゃたものである。戦争の最高責任者は昭和テンノーであったが、彼は戦争の責任は取らず、とぼけてテンノーに居座っている。しかしこれは天皇は神輿であって責任主体ではないというテンノーのあり方に従ったものである。しかしそれはまた戦後の責任回避政治家の先例うともなるものであった。
 第二次大戦の敗北によってこうした天皇制的な支配は消滅するかのようであったが、それは実はそうではない。丸山眞男は戦争中までは天皇制に肯定的で戦後になってようやく苦しい思いをして天皇制から脱却している。それは天皇制が日本人の自由な人格形成つまり自分の良心にしたって判断し行動して、その結果に対して自ら責任を負う人間つまり「甘え」に依存するのではない人間類型の形成にとって致命的な欠陥を持っている、という認識に到達したからである。
 明らかなように丸山のこの認識は天皇制それ自体ではなく、そのエートス、いわば天皇制的な精神構造の問題に焦点を置くものであった。私はマルクス主義者ではなかったが、ゼミなどで丸山先生にたてついていたのは、彼は天皇制が民主制の対立物であるというマルクス主義者が明確に認識していたことをよく理解していなかったからなのである。
 丸山はこうした天皇制の問題は敗戦とともに解消したと思ったようであるが、それは実はそうではなかったのである。そこにはテンノーの制度の存否いかんにかかわらず国民のエートスが存在するということと、実体は異なっても制度としてのテンノーの存在が国民の意識に作用するという二つの原因がある。
 こうして第二次大戦後テンノーは象徴化されて政治的には無になったと言えようが、エートスとしては復帰したとも言える。今日のテンノーは単に週刊誌に話題を提供するにすぎないものとなっているが、それは社会の天皇主義(テンノイズム)の復活の指標でもある。それは単に週刊誌にとどまるものでもなく、かつてはテンノーに関する著作で発禁処分を受けた岩波書店が昭和テンノーの拝謁記というものを出していることにも窺える。テキストは拝謁記であっても書名としては会見記とでもするのが編集者の見識であろう。
 教育の場においても、田舎都政をしている東京都の教育委員会は国家を歌わない教員を処分し、教師の思想信条の自由を否定している。このように自由を奪われた教師のもとで従順で自分の考えを持たない人間が大量生産されることになる。大学の自治はかつては教授会の自治であったが、今では学長が決定権者になるようになっているようである。
 こうしたテンノイズム的管理社会化の瀰漫はおそらくは学術的なレベルにも及ぶものである。今年は日本学術会議が特殊法人になることが決まったが、政府が批判的な学問を警戒するのは今に始まったことではないが、学術会議の人事への政府の介入に当たってこうした措置が学者を委縮させるものであるというような議論があったことは、学術と国家との今日的な配置状況を示すものとして興味深いことである。学者がそれほど気概のないものとなっているかのようであり、現に政府の理不尽な措置に対する学術会議の態度も困惑したりして一貫したものであったとはいえない。任命を拒否された学者の個人情報の海自を求めるというような見当はずれの要求をしていたことは、この国のいわゆる学者の政治的センスを表している。政治は正論を言うだけでは済まないものであって、どういう結果になったかという問題なのである。しかし今日の政治と学問の配置に関しては、すでに国民が選んだわけではない政府御用の有識者に答申させてそれを政策とするという有識者民主主義(?)のようなものが定着し、学術会議は存在意味を減退させているのである。 学術会議が特殊法人化はナショナル・アカデミーではなくなることを意味するであろう。
 政府に批判的な要素があった学術会議が実質的に解体され、国立アカデミーとしては日本学士院が残ることになる。顕著な科学者を優遇することによって学術を振興させようとする学士院は政府に批判的であり得ないであろうが、近年の学士院は恩賜賞の授与に際して天皇を出席させるようになり、皇室との結びつきを強めているようである。学士院会員は勲章を授与されたものが多いようであるが、あたかも学問は国家のためにあるかのようである。私は大正デモクラシーのことを調べ聞いたときに、宮内庁の参与か何かをしているある東大教授の本を見て参考にならなかったことがあるが、この著者も文化勲章を授与され学士院の会員のようである。学士院はかなり体制化され、学問が国家に従属するかのように見えることにはかつての記紀の御用史家を彷彿させるものもないではない。フランスの学士院も保守性を批判され、サルトルなどは参加を拒否していたが、最近の日本学士院は右傾化したということであろう。
 こうした学術状況は68年の大学紛争の後遺症と見ることもできる。この紛争に際して気骨ある若者は大学を去り、従順で無批判的、ある意味で要領の良い若者が大学に残ることになったのである。大学紛争の時代こうした学問は何のための学問であるかということなど考えたこともない「専門バカ」と言われたものである。こうした若者では問題意識など何もない小さいテーマを設定して考証のようなものをし、論文なるものが一丁上がりとなる。この傾向は日本古代史などに顕著であり、文化史や社会史のようなものがテーマになり、政治史や天皇制の問題などは回避されているように見える。私が本業ではない古代史に目を向けた際に、アカデミズムからはほとんど裨益するものがなく、教えられるものがあったのは在野のアマチュア研究家のものであったことはこのためだったのであろう。
 日本学士院の前身である東京学士院の創設者であった福沢諭吉は「学者の職分を論ず」という論文でこの連関のことを問題にしている。福沢は明治維新となった後も「政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ」う現実を前に、学者の気風を問題にし、これらの学者は「官」があって「私」があることを知らず、「私」にあっては智であっても、「官」にあっては愚であり、政府の上に立つ術を知って、政府の下にいる道を知らず、皆利のために管につきたがり、政府に依頼して青雲の志を遂げようとしており、世の大家先生もこの範囲を脱していないと喝破している。もっとも福沢の議論は政府の範囲を脱して「私立」することの利害得失を言う彼一流の平俗な議論に終わっているのであるが。
 学者の中の学者であったマックス・ウエーバーは「職業としての学問」という講演で、近代の学問が合理化、理知化して魂を欠いた専門家の仕事になったのは運命であるとしつつ、そこで究極の価値に関わろうとする要求があることを認めるとともに、その際にイザヤ書にあるエドムの斥候の歌にあるようにただあこがれているだけでは無駄であるとし、肝心なのは我々の仕事のとりかかり、「時代の要求」(Forderung des Tages)に取り掛かることであると言っている。私の経験では日本古代史についてのアカデミーの学問は「時代の要求」に応じたものではなかったのである。
 こうしてみると問題は学問が時代の要求にこたえているかどうかということが一つの問題になろう。今年の日本国民の一人当たりの国民所得は先進国の最下位になったようであるが、経済の衰退は精神的衰退と並行している。貧すれば鈍するであるが、逆にドンするからひんするでもある。
 今年も新聞記事を素材にしてAIで編集したようなあぶくのような本は無数に出ているようであるが、知的に注目されるようなものは一冊もなかったのではないか。そうした精神状況の結果として国民は初代神武天皇といった幼稚な歴史観しか持ちえず、テンノイズムの浸透の中で没主体性の支配のもとで民主主義も低迷したままになる。多少想像的と言えるのは漫画と絵本くらいのもので、歴史書もエンタメと区別がつかないものになってはいないか。書店は相変わらず減少しているようであるが、コンテンツがなければ書店の衰退も避けられない。これは学問の問題であるとともに政治の問題でもある。

Ⅷ 今年は米価が急騰するという「米騒動」があったと言われるが、騒動のようなものは何も起こっていない。消費者はぶつぶつ言うだけだが、大正時代の米騒動では米屋の打ちこわしなどがあったのであるから、日本人もおとなしくなったものである。需要供給に大きな変化がないにもかかわらず、合理的な理由なしに米価が2倍にも高騰するということは思惑で利益を得ているところがあるはずである。関税障壁で米作農業を保護して国際競争力のない生産体制をしておきながら、需要面を自由放任にしているのは片手落ちであり、国民の主食に関しては価格規制があってもおかしくはない。
 今年は戦後80年であったからイシバ首相は退任間際という奇妙なタイミングで所感を発表している。よほど自分の勉強を公表したかったのであろう。イシバ死はどうして戦争を防げなかったのかという問題を出し、それは文民統制がなかったからであるとしている。これは単に形式的な制度上のことにすぎない。なぜなら明治憲法体制のもとでは統帥権はテンノーにあり、文民統制などありえなかったからである。そうした体制のもとで先の戦争は天皇制ファシズムの結果として生じたものであり、誰が明確に主導したということもなく、相互依存行動の中で、戦争になっちゃたのである。国民ももとより戦争大賛成であり、防げるはずはなかったのである。イシバ氏が選挙の敗北の責任を取って退陣することを遷延したのは昭和テンノーが責任を取らなかったことの準じている。国民は戦争はいけないと言っておきながら、を準備している政府を支持しているのが現実でろうる。
 イシバ氏の後は金権腐敗と放漫財政のアベ・アソーの流れにあるじゃじゃ馬が首相になり、早くも馬脚を現している。この馬鹿一(?)は自民党の総裁に選ばれた時には過労死を称賛するような発言をして奈良の山猿のような野蛮な本性を示すことになる。半世紀前にこの種の日本人は『エコノミック・アニマル』と酷評されたものである。
 馬車馬のよう妄動するのは下僚のやることであり、トップは要所要所で適切な判断をする見識を持たなければならないものである。政治と金、ではなく自民党と金の問題などには頭がなく、積極財政の名のもとに世界最悪の借金政策を継続させようとしているが、自民党は創立70年に当たって少数与党化に居直り、自民党の欠陥を集約した奈良の馬(鹿))総裁を選んだのであろう。
 就任早々には台湾有事発言で早速日中対立を招くことになったが、台湾有事は中国の内政問題であり日本国の「存立」(?)などには関係がないものである。馬鹿一は台湾有事でアメリカの「戦艦」が攻撃されるような場合には日本国の「存立危機事態」になru
としているが、これはたまたまの失言というようなものではなく、馬鹿一の識見のレベルが表れたのものであろう。それは従来の政府見解を逸脱するものであり、説明が必要であろうが、何ら説明ができておらず、また馬鹿一の粗雑な頭では説明ができるものでもなかろう。
 馬鹿一は軽率に虎の尾を踏んで国民に多大な被害を与えることになったが、それを謝罪する謙虚さも持っていないようである。日本の野党はだらしないから、中国が野党の代わりをしているのであろう。通常であれば外相や特使を派遣するところであるが、日中関係の改善に無為無策なのは異常と言えよう。今の自民党には助言をするものもなく、トランプから指(sika) (sika) 導される始末である。官房長官はこれは「米中関係」の説明を受けたのであると設制していたが、この対面保持話法は記紀の執筆者以来の伝統である。太平洋戦争以来大本営発表は信用できないと決まっている。アメリカの本音はG2であり、台湾有事に干渉するとも言っていないにもかかわらず、日本のような中位国が中国と無用なトラブルを起こされたら迷惑なのである。
 米兵の前で飛び上がるような軽佻浮薄な首相(?)の存在自体が日本国の「存立」危機なのである。その先は、気が付いてみれば戦争になっちゃていたということであろう。知恵遅れの馬鹿一を支持するロバ国民という構図は見慣れた風景である。
 
Ⅸ もっとも海外に目を向けるならば、よりましなものでもない。アメリカは今では1世紀遅れのファシズム国家になったようである。MAGAということはNAZIということとほとんど同じである。政府を批判するメディアや大学に対する攻撃や内外に対する違法な暴力行使もファシズムと同じである。選挙結果を否定して暴動を起こそうとしたトランプを再選させる国民も愚民化している。もっともトランプは産業を国際競争力のないものにするだけの関税でアメリカを偉大にすると妄想したりする間抜けのファシストにすぎないが。ともあれアメリカは民主制から新たに皇帝を生んだと言ってよいであろう。
 ロシアのプーチンはウクライナをネオ・ナチを読んで知識不足を露呈したが、ポーランド侵攻を思わせるウクライナを無造作に侵略することによって野蛮さを見せているプーチンの方がネオ・ナチにふさわしい。ロシアは結局はロシア帝国であり、ここにも皇帝が再現する。
 中国は人民共和国になっても皇帝制の伝統から脱却できず、香港の一国二制度は雨散霧消し、事実上の皇帝が復帰しているようである。日本国は名目上の皇帝を持つ点で最先端にあるが、日本人やロシア人だけでなく、中国人にも民主主義は無理ということか。皇帝のいるところに民主主義はありえない。
 皇帝の復活は多かれ少なかれ社会のファシズム性を示すものであるが、それには地域による差異がある。西洋的なファシズムはイスラエルのようにポンポンと銃撃殺人をするドライなものであるが、日本などのファシズムは兵庫県に見られるようにパワハラ自殺させる陰湿なものである。無論ドライの方が良いというものではない。
 皇帝の復活はとりもなおさず民主主義の今日的脆弱性を示すものであるが、それは端的にはウクライナ戦争の和平交渉に見ることができる。アメリカが提示した和平案は侵略者に褒美を与え被侵略者に懲罰を与えるようなものであったが、ファシス・トランプとネオナチ・プーチンと通底しているのは不思議でない。プーチンがウクライナに領土的野心を持つように、トランプはグリーンランドやヴェネズエラに帝国主義的野心を持っており、両名は同じ穴のむじなである。今の人類世界は禽獣社会以下の面を露出させているとも言えよう。
 もっとも反面でトランプの介入がなければウクライナ情勢が動かないことも確かである。国連は全くの無力で、今の世界に対応力を持っておらず、せいぜい環境問題を扱うのが関の山のようである。結局政治の世界は悪魔と手を結ばなければならない世界であり、悪魔の効用を考えなければならないのである。
 このように見ると人類が進歩しているかどうかは疑わしくなり、人類の将来には黄金のゴールがあるというようなことは考えにくくなっていよう。
 このためゾロアスター教の善悪二元論の方が世界の現実により適合しているように見えてくることになる。人類に完成したゴールなどはなく、最後まで戦わなければならないのである。
 ザラスシュトラとともに、アフラ・マズターに、正義の報酬と善思の支配を祈るがよい・・・・・

Ⅹ An unhappy new year?

終わりの始まり2024年12月30日 20:27

1 歳末雑景
 イシバ首相は自民党には珍しい理屈を言うタイプだが、実践には不慣れのようである。
 彼は新しい政権はできるだけ早く国民の信を問うべきだと思っているようである。しかし国民から選ばれた国会から指名されているのだから、正当性を欠いているわけではない。政権ができるたびに選挙ということになれば始終解散をやらなければならなくなるだろう。
 明示的に解散がありうるのは内閣不信任案が可決した場合の他は憲法第7条の解散があるだけである。後者は国王が諸身分の意見を聞くために議会を開いていた時の国王大権としてあったものである。だから半分王政のイギリスでは解散があるがアメリカの議会には解散は存在しない。ドイツでは解散の乱用が独裁をもたらせた経験から、解散は首相が不信任された場合に限っている。日本でも解散は首相の専権事項であるわけではなく、第7条の解散は休眠事項にした方がよい。どうしても解散したければ与党が内閣不信任案を可決させればよいのである(建設的不信任)。ちなみに国会の召集などはテンノ―が署名すればよいことであり、国会で詔書を読むというのは滑稽な時代錯誤であろう。
 今度の新政権は自民党の裏金事件で前政権が中絶したことによっているが、解散するのであればこの事件の徹底した処理が不可欠であったであろう。しかし首相は中途半端なことしかしなかったのであるから、自民党が大敗したのは当然のことであろう。その結果イシバ政権は最初から自殺的レームダックになったが、熟議せざるを得なくなったのは予期しないハプニングであろう。
 今度の裏金事件は30年前の愚劣ないわゆる政治改革の帰結であるが、一番の問題は政治腐敗は自民党の問題であったにかかわらず
政治一般の改革という間延びした問題にすり替えたことである。腐敗政党は政権から放逐すればよいのである。
 むろん政治に改革の余地は残っている。今問題になっているのは企業献金の問題のようである。企業にも表現の自由があるという奇妙な話があるが、今問題になっているのは表現ではなく、あくまでも献金の問題である。自動車工業会や医師会が多額の献金をしているのは言うまでもなく政策的に配慮してもらうためである。政策は業界を対象にすることはあっても個人を対象にすることはない。だから献金は個人に限定すべきなのである。政治資金規正法がざる法になっていることについて言えば、その第一の要因は何万円以下であれば立件しないという検察の態度である。日本国の検察は権力には甘い反面で、庶民には多くの冤罪を生んでいる。
 問題になっていないようであるが、選挙制度の改正も必要なことである。前のいわゆる政治改革で小選挙区制と比例代表の並立制がとられたが、少ない議席のところを比例代表にしても、集合論的には比例代表の意味を持たない。ドイツのように比例代表で全体の議席を決め、各議席には小選挙区制をとる併用制には一定の意味があるが、並立制は端的に没理論的である。
 今度の総選挙では国民民主党が議席を伸ばしたが、これは自民党を忌避した票が流れたことと課税最低限を引き上げるというアピールが功を奏したということであろう。手取り所得を増やすということは耳あたりはよいが、税の減収はじせうぃ支出の削減をもたらし、それを避けたいとすれば借金を増大させることになる。これまでの放漫財政と「金利がある時代」になって驚いたりする間が抜けた財政運用の結果、世界最悪水準の日本の財政は予算の四分の一は国債の返済と利払いに向けられており。財政破たんは目に見ている。国民個人にとって得のように見えることも財政的には国民に不利になって跳ね返ってくる。課税最低限の引き上げということは大衆迎合、典型的なポピュリズムである。その際SNSが有用であったことはこれからの選挙の問題点を示唆している。
 しかし自民党が大敗しても政権交代は起こっていない。ここには野党の問題が潜在している。そもそも公明党は政策的には野党に近いにもかかわらず与党と野合しており(半自民党)、政権交代を困難にしている。維新も保守改革の党であり(第二自民党)、国民党も元来が保守的な党である(第三自民党)。野党の多くが保守的であるから、立民党はよほど野党協調をうまくやらなければならない。しかしこういう機会を逃したのでは、立民党が政権を取るのは困難であろう。
 日本の政党が自民党化する背景の一つに自民党が国民政党であると僭称していることがある。フランス革命のときに「国民」とは第三身分であると宣言されていたが、その意味で自民党は国民ではない。自民党は既得権益の有産者政党だからである。だからそれは当然に保守政党になる。その他は概して無産者政党であるが、男女間に中間地帯があるように、有産者と無産者の違いは截然としたものではなく、境界は流動的である。
 こうした保守的な政党構造のもとでは、自民党が国民政党と仮構することも可能になる。しかしその背景には国民自体の保守性があるであろう。自民党と国民との関係は、夫が不倫しても離縁できない妻のようなところがあり、夫を取り替えること、つまり政権を取り替えることをせず、せいぜいお灸をすえたり、多少すねたりするだけである。これは韓国とは大変な違いである。
 韓国では多くの大統領が退任後逮捕されたり投獄されたり、政権の交代は日常茶飯事である。韓国には瞬間湯沸かし器のように不安定なところがあるが、民主的という点では韓国の方がそうである。日本は外見的には安定しているが、その実態は停滞である。注目されることは、こうした韓国は一人当たりの国民所得では日本より上になったことである。朝鮮半島からやってきた権威(?)をありがたり、個人の自由を抑止する日本国は、個人の自由を活性化する国に負けるのである。大勢順応のこの従順システムはすでに行き詰まっている。
 今年のノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者は、国の衰退は経済だけでなく法治主義が徹底しているかどうかということが関k令しているとしている。このことは大統領の犯罪をふい門にしようとするアメリカというよりも日本国に当てはまるであろう。その最たる例は日産のゴーン氏事件である。
 ゴーン氏自身やや思い違いをしているようであるが、この事件では人質司法というようなことは付帯的なことであり、核心ゴーン氏がはルノーと経営統合しようとしたという不確かな情報をもとに、偏狭な経済ナショナリズムで、日産、経済産業省、検察が連携して、役員報酬の過少表記という笑うべき理由を挙げて、ゴーン氏を政策的不当逮捕、拘束し、失脚させた国家犯罪だという所にある。これはあたかも買収交渉をしていたUSスティールの会長を逮捕するようなものである。こういうことをしている国家が衰亡していくのは当然のことである。日本国がなおかつ法治国家であるというのであれば、特別検察官を任命して事件を徹底的に調査すべきなのである。ゴーン氏も政治的迫害を受けたとして国際司法裁判所などに救済を求めるべきであろう。
 
2 国民番号
 被統治者の側では日本人には国民番号(マイナンバー)が与えられて管理されている。今年はこれを健康保健証に一体化して健康保険証をなくすとされた年である。ここには基本的な間違いがある。マイナンバーは任意的なものとされているのに対して、国民皆保険を前提にする限り、健康保険証は必須のものだからである。任意的なものと必須なものは一体化できない。無理にそうしようとするならば、健康保険証が任意的なものとなることになる。マイナンバー保険証を持たない国民の四分の一は無保険者になる。保険証と同じような資格証明書を発行するということであるが、保険証を継続していれば済むことであり、無駄なことである。そして資格証明書も有効期間は5年とされているから、5年後には無保険者になることは同じである。日本国はオバマケアが廃止晴れて再び無保険者が増えようとしているアメリカと同じようになろうとしているのである。
 国民の健康を守るということは政府の基本的な任務であるが、国民皆保険の崩壊をもたらしうるこの変化が、デジタル化という名目でなされようとしていることは注目されることである。デジタル化は手段であって目的ではないが、デジタル後進国では往々にしてデジタル化自体が目的化して暴走することになる。そもそも保険証の廃止がどのようにして決定されたのかも不明である。コーノとかいう世襲三代目のボンボン大臣が行ったことであるとも言われるが、アリストテレスは政治家の要件として思慮分別(フロネーシス)ということを挙げていたが、思慮分別は世襲できるものではない。この言われていることが正しければ、保険証の存廃は厚生労働省ではなくデジタル庁が決めるということになりかねないであろう。健康保険という基本的な政策決定過程が明らかでないということは、軍事費の大幅な拡大の目的が不明で金額だけが閣議で一方的に決められたことと同じである。基本的政策決定が民主主義の原則から離れている。
 健康保険のこうしたあり方は75歳以上の人間を「後期高齢者」とする用語にも現れている。この用語は75歳以上のものはできるだけ早く死んでほしいという含意を持つであろう。人間の尊厳にはふさわしくないが、人間を管理対象物とする役所の本音を示すものであろう。こうした後期高齢者の扱い方は、他方での少子高齢化のしわ寄せでもある。高齢者の保険料や自己負担は増大する一方であるから、後期高齢者健康保険は脱退した方がよいということにもなろう。日本では労働人口を増やしたい一方で、非生産的な後期高齢者の福祉は削減されることになる。だがこのシステムでは労働者もやがてポイ捨てになる。かつて福祉国家はゆりかごから墓場までと言われたものxであるが、日本国ではベビーカーから無縁仏へであろう。この変容には貧すれば鈍するという面があるが、いずれにせよ日本国は再び姨捨国家になろうとしているのである。

3 公共性の崩壊
 今年のと知事選挙では、はっきりした政策もなしにただ人を動かそうとするだけの扇動家がSNSを使用して大量得票をしたり、売名目的の魑魅魍魎のような泡まつ候補が乱立するという異常が見られたが、それが極端化して由々しい警告を出しているのは兵庫県の知事選挙である。
 この知事には在任中から役得を要求するとか威圧的態度をとるとかの大したことのない欠点があったようであるが、それが報道各社への告発によって表面化することになる。
 後に告発者はこれを公益通報とすることになったが、知事は公益通報に当たらないとしたようである。まず第一に告発された知事がその判断に当たることは利益相反であり、不適切である。さらに知事は公益通報の判断がなされ前に職員のパソコンを調べたり犯人探しをして懲戒処分をしているが、これは告発した職員に対する単なる報復行為であり、また公益通報者保護の趣旨を理解しないものであろう。その結果として告発した職員が自殺したことに道義的責任はないかと問われた知事は「道義的責任の意味が分からない」と答えていることは、この知事には良識面で欠けるところがあることを示唆するものであろう。のみならずこの事例はハラスメントによる重大な人権侵害の疑い、刑事事件の可能性があり、遺族には補償請求が考えられるであろう。
 この知事も東大法学部の出身の役人であったようであるが、中央省庁のトップになるだけの能力がないものは国会議員になったり、地方の自治体の首長になったりして小権力をふるいたがる者がいる。東大法学部には目的合理性だけしか頭になく価値合理性には盲目な田舎秀才がいたものである。この知事にはまた単細胞的に不適切なことでもまじめかつ熱心に追求しようとする維新的な要素もあったようである。
 しかし県会議員全員から不信任された人物が再当選したということには、この選挙には異常な力が働いたことを予想させる。県庁でいかがわしいことをする人物は選挙でもいかがわしい行動をする。それは知事が広告会社に選挙運動を依頼したことによっている。選挙に広告会社を利用することになると、候補者や政策は売られるべき商品となり、選挙自体がコマーシャル化されることになる。
 この広告会社は大量のインフルエンサー等を導入してSNSを発信し、その印象操作によって酷薄・狭量が予想され人格的に問題がありそうな知事が「善人」であり、告発の犠牲者であるという真逆のイメージが出来上がったようである。こうしてこの知事を当選させた兵庫県民が、職員の人権よりも自分たちの利益を優先させたことも無視できない。
 この選挙では対立候補の支援団体のSNSアカウントが虚偽の発信をしたという偽りの申し立てによって停止されるという重大な選挙妨害が生じている。広告会社は「広報全般」を請け負っているから、妨害活動も請け負ったのであろう。この広告会社は公職選挙法違反の容疑で告発されているから、徹底的な解明がなされることが望ましい。
 SNSの利用は一見すると直接民主主義の意味があるように見える。その背後には在来のマス・メディアの後退があるようである。受信料を徴収するという特権的な位置にあるNHKは受信契約の意味も理解せずにすぐに裁判に訴えるという権力的は態度を取り、朝日新聞などの大新聞は体制化してお座なりな決まり文句を流しているから相手にされなくなったのは不思議ではない。
 しかしSNSの情報は在来のマス・メディアのような真偽のチェックきのうはないから偽情報が自由に流通し拡散することになる。さらにSNSは私的言説の発信であり、それを統合する機能は存在しないから、社会的意思形成に寄与するというよりは、同じ意見の組織化に向かい、合意というよりは分断に作用する。SNSというミ二・メディアの特徴は商品広告と同様に好悪反応・反射的であるから、草の根では政治に求められている熟議とは反対の動きがあることになる。こうして見るとSNSは民主政治に寄与するよりの衆愚政治に直結すると言った方が当てはまっている。
 この現象は一般化すればSNSによる公共性の崩壊ということである。半世紀前にユルゲン・ハーバーマスは18世紀ころに生まれた市民の意見交換から生まれた公共圏の機能を公共性と呼んでいるが、これは市民の討議による意思形成という意味で民主主義の基底にある機能である。彼によるとこの公共圏は権力(政府広報)と資本(広告産業)の登場によってゆがめられるようになり、それを公共性の構造転換と呼んでいる。この転換はSNSの登場によって崩壊に瀕するようになったと言ってよい。
 選挙の場では従来の対話型の運動はアナログ的なものであって、有権者は候補者を丸ごと把握できるところがあった。デジタルなSNSは身体性を持たないものであって、私的言説が直ちに政治の場を覆うことになる。あるいは公共空間が私的空間になり、政治機能は失われる。ここには討議的な機能がないだけでなく、容易に商業化と結びつくことになる。こうしたメカニズムがファシズムにもつながることは予想されるところである。
 アドルノ等はこうした広告機能を「大衆欺瞞としての啓蒙」と呼び、文化産業はそれが当てはめようとする型通りの人間を再生産すると言っている。この消費者たちの強制された模倣の中では、個人性はほとんど[白く輝く歯]以外のものを意味しない(『啓蒙の弁証法』)。
 知事選挙で兵庫県民はこの「広告の勝利」に屈したのであろう。止k氏兵庫県民が特に愚かということはありえないであろうから、これは付和雷同を得意とする日本人一般について言えることであろう。
 このようにSNSは厄介な問題を抱えており、何らかの規制も考えざるを得ないことになる。オーストラリアでは16歳以下のSNSの利用を禁止したが、マッカーサーは日本人は13歳であるとしていたから、その伝では日本人には全面禁止も考えられよう。今年のルーマニアの大統領選挙ではSNSが投票を誘導したとして憲法裁判所が無効であるとしていた。ルーマニアの基準では兵庫県知事選挙は完全に無効であろう。もっとも選挙時のSNSの使用制限自体困難な問題である。だが少なくとも選挙運動に広告会社を利用することは禁止されるべきものである。政治に関心がない若者が詰まらない公告に誘導されていることに関しては、無関心なものに無理に投票させることはなく、したがって選挙権は自動的に与えられるのではなく、政治に関心があるものだけが登録するというアメリカの登録制が一案であろう。

4 homo sapiensの終焉?
 デジタル技術の精華であるSNSは人間生活を便利(?)にするとともに、脅かすようにもなっている。通信技術の進化は犯罪技術の進化ともなり、詐欺の増大はその一面でもあろう。しかし根本的にはデジタル的知性は従来の人間の知性のあり方そのものに変容を与えつつあると言えよう。二進法に立脚するデジタル技術が人間を単細胞化していくことは容易に見通されるところであり、その電算的知識は人工知能(AI)も生み出すが、それはまずは在来の人間の智慧(フロネーシス)を放逐するという性格を持っている。かつてルソーは際限なく進展する人間の文明のあり方に不満を持ち、それを人間の「完成能力」というあまりぴったりしない呼び方でしている。確かに人間以外の動物は単純再生産をするだけであるが、人間だけは拡大再生産し、そのあり方を変容させている。ルソーはそれを患いであるとして「自然」に帰れと叫んだわけである。しかし歴史は不可逆的であり、人間の「自然」も実は明らかでない。
 ルソーは文明を人間の「自然」に反するとしたが、それは人間の本性から離れることであったと言ってよい。後にマルクスはこの人間の本性から離れることを「疎外」であると表現することになった。彼によると近代において人間を疎外させるのへ「資本」であるとし、人間の資本の論理からの解放を唱えることになった。デジタル技術の時代に在っては、この資本は「情報」であると言ってよく、あるいは情報が新しい資本になったと言えよう。そうしてデジタル時代になって人間は多分に情報に従属し、それはまたデジタル知性に従属することであると言ってもよい。かつて人間を特徴づけていた「知」が外部知性に従属するということは、人間が人間でなくなること、人間の自己疎外の完成であろう。
 それを端的に示すのは人工知能であり、人間は幾分人工知能に従属するようになっている。人工知能は今のところ従来の知識の集合体であって、創造能力はないとみなされているようである。しかしそれは反面で人工知能が確実なもので、創造力は誤差にすぎないという見方につながるものである。つまり人工知能はかつてつかみどころのない弁証法に対して実証主義が主張していたことと通じるものである。そうなると人工知能が科学的なものであり、それ以外の考え方は単なる主観の幻想にすぎないということになるであろう。もしこうした時代が来るとすれば従来の人間の定義は成り立たなくなり、ユートピア=デストピアの素晴らしい新世界も生まれるであろう。それにどう対処するかということはここのテーマではない。

ふるさと納税あるいはraccoon dog2024年06月20日 20:14

 私は10歳の時から東京に住んでいるが、東京が故郷と思ったことは全くない。それは出生地でないということだけでなく、東京には単なる地域以上の特性がないためである。弁証法的理性批判の用語を使うと、東京は集列体(セリエ)であって集団ではない。
 東京は都道府県という地方公共団体であるとともに首都であるという二面性を持っている。それはまた首都部分と多摩あるいは武蔵地区に分けられる。この首都部分は地区の集合体であって、東京市といった独自の自治体をなしていない。ここには市民というものはないわけである。
 大阪は都になりたがっていたようであるが、無駄なことであろう。都になると府と市の二重性は解消されるであろうが、市民不在となり、自治性は損なわれる。むしろ東京が大阪や京都のように府制にした方がよいくらいである。
 首都としての東京が集列的なものになるのはその成立に由来
している。今でも東京の住民の多くは里帰りと言われる移動をしている。彼らの根は地方と言われる田舎にあり、東京では浮草の居留民である。こういう滞在者が市民として自治の担い手となるのは困難であろう。トミンの多くが田舎者だから、東京は狸が出る巨大な村なのである。
 確かにリスクの多い都会よりはのどかな田舎の方がよさそうであるが、田舎には共同体規制があり、自由が制限されている。最近の政治学者(?)の中には田舎の寄り合いを民主主義の原型のように早合点するものも無きにしも非ずのようであるが、寄り合いは同調を強いられる場でもあり、不同意は村八分につながる。だから「都市の空気は自由にする」のであり、リベラルでなければ都会ではない。
 他方で昔からの江戸っ子がいるが、その多くは江戸の町人に由来する。江戸町人というのは支配はお上としての役人に任せ私的利益を追求する。町人は市民とは異なって支配の主体とはなろうとしないものであり、政治的自由の圏外にある。こうして東京では内外両面から能動的市民とは無縁だったのである。
 近代になって封建制度は一応は解体されたが、それはほとんど忘れられていた皇帝を持ってくることによって統一を図ろうとするものであり、前近代のプリミティブな受動的な随順という精神傾向を温存し利用するものであった。一方でテンノーを崇め、他方で他人指向で主体の自由を抑止する独特の政治文化が生まれる。西洋的な制度を導入しても、仏作って魂入れずであるから、民主主義や憲法も妙なものになる。
 イニシャティヴを持った能動的な市民が生まれるようになったのは1960年の安保闘争のころからである。しかしそれも社会の保守化が進んだ21世紀になるとともに交代することになる。そうしてそれを体現しているのが首都だったのである。
 この文脈で近年の東京で特徴的なことは東京都教育委員会は君が代を詠わない教員を処分していることであろう。東京都の教員は思想史温情の自由という基本的な人権を奪われている。これは極右的作家の石原知事が始めたことであるが、コイケ知事は教育的見識など持ち得ない下水道局長とかの単なる行政職員を教育長に任命して踏襲している。
 コイケ知事に特徴的なことは慣例となっていた関東大震災に犠牲となった朝鮮人犠牲者にメッセージを送ることを拒否していることであろう。ここにはコイケの歴史認識の程度が現れている。
 さらにコイケは横田基地の地下水汚染の問題について調査を使用ともしていない。これがコイケの都民ラースト主義ということであろう。
 あるいはコロナの問題の際には国が基準を示してもらいたいという受動的な姿勢が顕著であったが、国家優先主義的な発想の結果であろう。地方政府としての自覚という点でと知事は沖縄県知事よりはるかに遅れている。こういう知事の人気があったということはとりもなおさず都民が田舎者であるということにほかならない。
 コイケの反リベラル的な傾向は他の自治体に先駆けてカスハラ条例なるものを導入しようとしていることであろう。カスタマーということが消費者であるならば、それはまず消費者庁が取り上げるべきとであろうが、あえて自治体がそのハラスメントを取り上げるということは、要するに都庁に対する批判を禁止しようということであろう。だが従僕が主人に叱られるのは当然のことであり、公務員は住民の声を聴かなければ適正な判断ができないものである。より問題なのは逆にオフィサー・ハラスメントの方である。すでに「権利の乱用はいけない」という迎合的な声が聞こえるが、都民の由来から見てより当てはまるのは「権利の上に眠るものは権利を失う」という法諺の方である。
 コイケの反リベラルの反動的な国権優先主義はマイナーカードに見るような国民に対する統制管理の強化、中央政府の地方自治体への指示権の拡大、地方自治の破壊という自民党政府の路線と合致している。
 その背景にあるのはやはり東京における市民の受動性であろう。政府よりは財政に余裕があるパイをわけることであればだれにでもできることである。トミンは能動的市民として何かをやらせるのではなく、施政者に何かをやってもらう受動的市民、顧客(クライアント)にすぎないものとなっているようである。それはえさを求めて口を開いている小池の小鯉であろう。
 この反転した世界がどのようにして生じたかということの蛇足としては旧ソ連の権威主義的な建物を想起させる都庁舎があろう。神宮の木を切るよりは都庁舎を解体する方が都民のためである。
 コイケの特徴を集約しているのは学歴詐称のエピソードであろう。コイケはカイロ大学2年の時に進級試験に不合格になって帰国しているから留学しただけのことであろうが、卒業証書なるものがあるという珍現象は興味深い。柿の葉を小判にするのはraccoon dogの得意技であった。

 私は20年ほど前から東京の府中市に住んでいるが、私の叔母は前からここに住んでいる。府中市というところは古い保守的な町である。叔母は合併前の多磨村の小学校のPTA会長をしていた時に、村の当局の頑迷さに業を煮やして村会議員になり、合併して府中市になった時には一基だけ市会議員をやっている。この叔母というのは後に婦人有権者同盟の会長をしていた松浦三知子である。彼女は審議会で一緒になった委員について「最近の東大教授は小心者だね」などという反面で、また「最近の若い会員のものの見方は甘いね」などと言っていたが、これはその後の婦人の位置や労働運動の現状、ひいては日本没落の背景となるものであろう。
 府中市の保守性は政府の問題がある政策に先駆けているところにも見られる。最近ではマイナンバーカードの利用などがそうであるが、一般的に問題なのはそれと健康保険証との一体化の問題であろう。
 マイナンバーカードは任意のものとして導入されたが、それと健康保険証を一体化することになるとすれば、必然的に保険を持たない人間が大量に生まれることになる。おそらく国民の四人に一人は無保険者になるであろう。今の劣化した政治家はこの中学生にもわかる単純な理屈が理解できないものとなっているのである。保険証がなくなることで国民皆保険も崩壊する。
 国民皆保険というのは世界の福祉国家の出発点にあったものである。これが崩壊するということは福祉国家の起点が崩壊するということである。福祉政策を担当している厚生労働省は、例えば当初コロナの検査に二万数千円を設定していたことがしめすように、その認識の遅れには度し難いものがあるが、保険証の廃止によって日本の福祉史上最大のスキャンダルを生むことになろう。
 明らかにマイナンバーと保険証の一体かということは単に技術的な問題があるということではなく、国民皆保険の原理に関することである。無論そこから漏れる人の多くがアナログ的高齢者ということはあるであろう。その意味では保険証の廃止は高齢者の切り捨てになる。社会が困窮化するとまず犠牲になるのは高齢者であり、これは現代のオバステのように見える。
 だが必ずしもそうではない。痴呆のようにいつも薄笑いを浮かべている往生際の悪い現首相は税務担当に数万円の減税を明記するように小細工をしているが、その反面で今の日本国の財政は国家予算の10倍の借金を抱え、プライマリー・バランスがどうのという域を越えて破産の瀬戸際にあることを理解していない。今年だけでも借金の利息10兆円を無駄にどぶに捨てている。10兆円あれば大抵の政策は楽にできるものである。だがこの利息は金利の上昇によって何倍にもなるものであり、その時には予算の何分の一かは利払いに捨てられるという悲惨なことになるであろう。その意味で日本国民の苦難は前途にあるというべきであろう。巨大な債務の重圧のもとにあり、医療保険も出鱈目になろうとしている日本では死ぬことは早い者勝ちなのである。少子化になるはずである。少子化の最大の原因は国のリーダーが劣化して将来が見通せないことにあるのである。
 政府の間違った政策に追随している府中市はいかにも保守市政らしいところであるが、私が移転してきたころは府中市南口の再開発が行われていた。その中核になっていた伊勢丹は十数年後に撤退し、後は雑居ビルのようになっているが、これは市の企画力の問題でもあろう。
 しかし私は時に図書館を利用するくらいしか市には関わりしか持たない。ところがしばらく前に図書館から返却した本に汚れがあるから同じものを本屋で買って弁償してもらいたいという電話がかかってきた。心当たりがなかったので見に行くと表紙の裏に二つほど斑点のようなものが付いていた。こういうものに現物弁償を求めるというのはオフィサー・ハラッスメントの例であろう。もっとも府中市の図書館は運営会社に委託しているようであるから、これは民営化の問題でもあろう。民営化では図書館も貸衣装屋のようになり、本来の市民サービス性が没却されることにもなるのであろう。私はもう図書館は利用しないことにした。
 図書館の民営化は人件費の削減を理由としているようであるが、他方で利用者がるのかわからないようなサッカー場をラグビー場に改修すると言ったことをしているが、これは市長の個人的な関心からくるもののようである。
 最近の府中市で特徴的なことは土建事業で官製談合があったということである。市長は監督責任を取って辞任するのがふさわしいところであるが、今年の市長選挙には再出馬している。この市長は市政の見識などなさそうな幼稚園長であるが、祖父が多磨村の村長をしていたようであるから地元の古い層に属するのであろう。選挙の際にはどこでもやっているコロナの実績の他土建事業にやり残しているものがあるというような理由を挙げていたようである。そこに癒着の土壌もあったわけである。隣の国立市では最近景観上の理由で完成直前のマンションの解体が命じられている。両方の違いは住民意識の低さと高さの差異であろう。
 この選挙で感心しないのは、市長が共産党と生活クラブ以外の自民党や立憲民主党などすべての議員から支持を取り付けていたことであろ。これらの議員は市の予算の説明などして市政と一体化しているが、これでは官製談合の監視などできないだろう。保険証の廃止については少なくない自治体の議会が反対の決議をしているが、府中市では考えられもしないことであろう。
 今年の市長選挙に幻滅して私は自治会を脱退した。市政に感心できないと市政に末端サービスしているような自治会も衰退する。
 
 府中市の官製談合が発覚していら私は東京への税金の支払いを少なくしたいと考え、ふるさと納税を始めた。私が生まれたのは五歳まで住んでいた四国の高松市であるが、ここもそれほど関心するところではない。
 10年ほど前であったか、市が汚水処理場を廃止するにあたって調べたところ、施設の中に私名義の土地があるが、現況は市の施設であるから寄付してほしいという文書が送られてきた。この汚水処理場は市の中心から遠い所にできたものであり、結局市の中心にある施設に一括することになったもののようである。このために国立公園の中にあった浜辺はつぶされてコンクリートの壁ができることになった。住民の声を聴かないおろかな建設であったが、私の生家はこのあたりの地主の家であったから、所々に売れ残った土地があり、それが買収漏れになっていたのであろう。この田舎でしか通用しない厚顔無恥の申し入れを私は断ったのであるが、その後市が時効取得したという通知が届くことになった。それがどうなったかは知らない。
 それより少し前には、私名義の私道を市道にしたいから寄付してほしいという申し出があった。私の先祖は地元を搾取したかもしれないので、私はうっかりと100坪ほどの土地を寄付したことがある。しかし市からは礼状一枚来ていない。こういう所にふるさと納税するのは難しいであろう。
 結局草の根ののどかな田舎が必ずしも都市よりましなわけではなく、両者は両面現象である。70年ほど前に『二十四の瞳』という映画があり、その主題はのどかな田舎にも戦争の影が押し寄せてくるというものである。それは国は悪いが地方はよいというものではなく、地方のあり方が国のあり方の土壌になっているということである。この映画の初めに高峰秀子が、天皇陛下はどこにいるかと聞いているが、テンノーをありがたがる素朴な臣民の従順性が戦争とファシズムの土壌になり、上の権力に盲従する校長がその中間管理者になっているということなのである。
 付け加えると私の生家は今は古民家再生の対象となり「旧南原亭」というカフェになったようである。この家は私の曽祖父の千太郎が小学校長をしていた大正時代に建てたものであり、第二次大戦後の農地改革によって没落して家屋敷も手放されていたものである。すでに故人になった自分の記念のようなものとして再生されたわけである。行政と違って民間は味なこともやるものである。
 私の故郷というとこの父方とともに、高松の南の西植田には母方の家がある。江戸時代に作られたこの家はより古民家にふさわしいものである。私が生まれるのと前後して祖父の鎌野藤太が死去しているが、彼は岡山の犬養毅に師事して民政党の香川県常任幹事をするとともに県会議員もしていた。この時期は民政党から政友会に転向する議員が多く、藤太は孤軍奮闘しており、時の若槻礼次郎首相も激励に来ていたようである。しかし藤太は県議を一期だけでやめ、実業に復帰し高松琴平電鉄の社長などを務めていた。その中核駅の瓦町駅は天満屋デパートが撤退した後は集合ビルのようになっているが、これは地方中都市の一般的光景なのであろう。この藤太の次女が松浦三知子である。これが私の生い立ちの環境であった。
 私の第二の故郷と言えるのは小学校時代を過ごした京都市であり、ここには三条大橋の改修向けにふるさと納税をしている。
 今年はさしずめ地震にあった能登半島が考えられるであろう。しかし影像を見ると家屋や道路の耐震性が不足しており、これは人災の一面がある。能登半島は地震の巣のような所として知られていたのであるから、石川県などの地震対策の遅れが被害と犠牲を大きくしたことを否めない。その点では政府から地方自治の不当な破壊を受けた沖縄の方がより支援にふさわしいであろう。
 しかしふるさと納税は返礼品があるから純粋な寄付とはいいがたい。最近私が寄付したのは「国境なき医師団」である。

ガラパゴス国家の終焉2023年12月29日 20:08

 失われた30年ということが言われる。確かに30年前はこの国のGNPは中国を上回っていたが、今では三分の一以下である。一人当たりの国民所得は、この時期が始まったころはこの国はG7で首位であったが、今では最下位である。もっともその前の高度成長期には日本人はエコノミック・アニマルと呼ばれていたのであるから、こういう経済的数値自体は大した問題ではなかろう。しかし近代史においてこれほど急速に転落した国家は珍しいことであり、興味ある現象である。そしてそれは単に経済だけの問題ではないはずである。

a
政治的にはこの時期はいわゆる政治改革の時期である。失われた30年は政治改革の30年に符合する。
 この政治改革というものはよく言われるように、いわゆるリクルート事件にみられるような自民党の腐敗に端を発したものである。長期政権の下での権力腐敗である。
 しかし政治改革では自民党の腐敗が政治の腐敗一般にすり替えられ、政治の金権腐敗は派閥政治があるためであるとされ、それは複数の自民党議員が立候補しうる中選挙区制にあるとされて小選挙区制の導入ということになった。だがこれは自民党の都合によるものであり、自民党本位の改革(?)であって、政治制度全体が巻き添えにされ、いわゆる政治改革には欺瞞があったのである。
 この改革(?)によって選挙は政策中心のものとなり、二大政党的なものが生まれ、政権交代も容易になるだろうと喧伝されたものである。しかし政治改革が始まる前年には細川非自民党政権が生まれており、事実上の政権交代がなされていた。その後の30年の間にいわゆる政権交代があったのは鳩山政権が生まれた時だけであり、それも政策選択というよりはムード的なものであった。こうして自民党政権は復活することになり、政治改革は結果的には自民党の救済策であったといってよい。
 それだけでなく小選挙区制の導入は少数政党を淘汰することになった。単独では当選の可能性がない公明党は自民党にすり寄ることになり、自民党の補完勢力になった。かつては平和政党といわれたこの政党は、敵基地攻撃を承認するまでに自民党という金魚の糞になったのである。他方でかなり原則的な論点を提出していた共産党は連携がうまくいかずミニ政党になることになった。こうしてこの国の政党の構図は右に傾斜し、政権交代はかえって困難になることになった。
 いわゆる政治改革が失敗した一つの原因は政治というものを単に制度的にとらえようとしたからであろう。政治というものは結局政治家を含めてその国の民度以上にはならないものである。問題があると制度の問題にしようとするが、政治というものはゲームでもあり、机上の制度通りにはならない。腐敗があればその政党を権力から追放すればよいのであり、ゲームの途中でゲームのルールを変えるのは角を矯めて牛を殺すことになる。腐敗政党が失脚することは政治の自律反転ということである。だから制度いじりではなく、ゲームを進行させ、権力を交代するが最も良い政治の改革なのである。
 このいわゆる政治会改革の最大の収益を得たのはアベ政権であった。政治改革はアベ政権を準備し可能にしたといってよいであろう。いわゆる政治改革は小選挙区制の導入とともに権力を集中させて、効率化を図り、首相官邸の主導性を確保するものであった。こうしてアベ政権は秘密保護法などの反動立法を成立させ右傾化を鮮やかに示すものとなった。
 しかしこの独裁的権力は当然に再び腐敗することになり、森友、加計事件のような権力の私物化を招くだけでなく、さまざまの不法行為をもたらすものであった。その最悪のものは無実の人間を犯罪者にしようとした日産のゴーン氏事件であった。
 この政治の劣化の背景にあるのはいわゆる小選挙区制導入によるによる政治家の劣化であろう。これも自民党だけのことであるが、国会議員は人口40万人程度をテリトリーとする利権ブローカーのようなものになり、こうした議員に国際政治はもとより内政についての見識を求めることはできないことになる。議員の三代目の世之助化である。
 マルクスは歴史は二度終わるといっている。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。アベは右派宗教団体との近さから流れ弾に当たったが、そのあとに出てきたキシダ世之介は、党内党の派閥はつまらないものであるが、リベラルなところがあった宏池会の本性を知らず、それと対極的なアベ派的なことをするほどに滑稽で無知蒙昧なところがある。
 思いつくことを挙げればまずマイナンバーカードのことがある。これはキシダが考え付いたものではないが、健康保険証と一体化することにしたそうである。マイナカードはもともと任意のものとされていたが、健康保険証と一体化するものであれば、事実上義務化するということであろう。任意のものとして導入されたものがいつの間にか義務的なものにされるということは、政府が国民をだましたということであろう。こういうことをする政府は全く信用できないことになる。
 さらに重大なことは、健康保険証を廃止するということは、何千万人という国民を無保険者にするということである。これは福祉国家の出発点である「国民皆保険」の原理を破壊するものである。こういう粗雑かつ乱暴なことが生まれるのは医療行政の専門家でなく、単なるデジタル技術者が切り回しているからであろう。健康保険証をデジタルしたいのであれば健康保険証をカード化すればよいことであり、わざわざ面倒な紐づけなどということを素人にさせるべきものではない。ともかくこういうことはモンキー大臣世之介が独断でやるべきことではなく、立法措置を必要とするものである。
 マイナカードは元は国民総背番号制の失敗を引き継ぐものであるが、これは最終的には国民の金融資産の名寄せを目的とするものであった。政府が鳴り物入りでマイナカードの普及に狂奔するのは最終的にはそういうことが目指されているからであろう。信用できない政府にデータがすべて把握されるということは、この国民の境涯をよく示すものであろう。老人保険料を少子化対策に流用するなどということは糞食らえの類であろう。
 他方でキシダは軍事費を倍増するそうであるが、それは主に敵基地攻撃つまり憲法が禁止している戦争行為のためのようである。そもそも金欠病の国が少子化対策も軍事費増大もというのが間違いである。むろん軍事費の中身を問わずに税金だけを問題にする国民も国民であるが。
 軍事といえばヘノコのお粗末さがある。ヘノコの有義性はすでに完全に失われているが、政府はなおも固執し、最近は不同意の沖縄県に代執行して強引に進めようとしているようである。地方自治も何もあったものではないが、これは世之介政治がもはや耐え難い次元のものになっていることを示すものであろう。
 付け加えると、核融合反応を利用している点では原発と核兵器は似たところがある。この点で顕著なことは日本ではいつの間にか原発に回帰しているが、ドイツでは再生可能エネルギーに転換することによって原発ゼロを実現したことである。また日本では核の傘にあるという理由で核禁止条約に参加していないが、同じようにアメリカと同盟関係にあるドイツはオブザーバーとして参加している。「核の傘」という言い方は思考の怠惰を示すものであり、実際にあるのは安全保障条約を結んでいるアメリカが核を保有しているということに過ぎない。日本人の国民所得は30年前にはドイツを上回っていたが、今ではドイツ人の三分の二である。思考停止の世之介政治が転落をもたらしているのである。
 大阪万博が怪しくなっている。東京五輪は中止する決断ができずに汚点を残したが、大阪万博は言及するのもはばかるような低レベルのテーマを抱えているのであるから、うまくいかないのは当然であろう。しかしこれは何の指導理念もヴィジョンもなくただ土建工事をしているような今の日本国の縮図であり、とりもなおさず政治改革以来劣化した日本の世之助政治の狎れの果てであろう。
 この時期の終わりにはアベ派議員の政治資金違反事件が表面化することになった。これは不思議なことではなく、権力が腐敗する場合は権力に近いところから腐敗するものであるからである。そうしてこの事件は小選挙区制によって議員を劣化させ、企業献金も禁止しないざる法の政治資金規正をもたらせたいわゆる政治改革の失敗を確認するものであり、日本政治は元の木阿弥に戻ったわけである。私はこういう皮相な政治改革は最初から虚妄であると思っていたが、その通りになったのは遺憾なことである。一般化すればそれは、権力は必然的に腐敗するというアクトン卿の公理りを忘却したことを意味するであろう。
aa
 政治改革に関してはいわゆる政治臨調が看過できない。この政治臨調はかつての臨時行政改革をモデルにしたものであるが、産業人と現実主義的は学者(?)が連携した産学連携の政策提言集団のようである。いわゆる政治改革の推進に当たっては政治臨調が一定の役割をしたようである。
 産学連携が意味を持つ分野はありうるであろうが、政治に関しては疑問である。産業人は資本の論理に従わざるを得ないが、現実的でその限りで保守的な学者(?)はこの場合東大法学部系の政治学者(?)のようであるが、ここは本質的に官僚養成機関のようなところがり、民間政治臨調といわれるものの、財界と官界をバックとしてはどういう政治観となるかは予想に困難ではない。
 政治臨調は公的機関ではないが、政党の代表を呼びつけたり、あたかも公的機関であるかのような振る舞いがある。しかしある集会では極右政党的な維新の会は読んでも、伝統的な左翼政党である共産党を読んでいないことは、臨調の反共的性格を物語るものであろう。そうしてこの臨調は小選挙区制の導入に当たっては単に提言するだけでなく、政治家に接近し、横からの介入という非民主的なやり方でそれを実現させようとしている。そうしてその結果については責任を取ることはない。政治的活動をするのであれば、資金収支を公表すべきであろう。
 いわゆる政治改革が失敗したことは臨調的な政治観にも関係があろう。この集団は近代経済学的な人間観つまり合理的エゴイスト像を持っているようである。選挙の際にはマニフェストを読み比べて合理的選択をするかのようである。しかし現実の政治は合理的計算ではなく、そこにはレトリックや取引や暴力もかかわっている。したがってこういう現実主義的な単純な政治観は現実の政治によって裏切られることになる。
 臨調的提言が失敗するのは経済人的、官僚的な政治観の結果でもある。彼らにおいては目的は与えられて、その目的を達成するにはどのような手段が適合的であるかが問題である。マックス・ウェーヴァーの用語を使うならば、それは「目的合理性」の原理に立つものであり、目的そのものが合理的であるかを問う「価値合理性」の世界ではない。しかしそれは政治を行政に縮減するものであり、むしろ政治の世界を排除するものであろう。だが今の政治の中心的な問題は、マイナにしろ、ヘノコにしろ、あるいは原発にせよ、ジェンダーにせよ主な問題は価値合理性の問題なのである。
 臨調は最近は令和臨調として新しい問題に対応しているようであるが、その名称自体が旧守的であることを否定できない。のみならずこの団体には政治学者(?)が財界人の雇われマダムのようなところがり、学問の自律性にも危惧すべき喪に尾がある。臨調に必要なことは提言というよりも自己批判であろう。

b
経済の側面ではこの時期はバブル経済が崩壊してデフレに苦慮していた時期である。これに対して政府は財政支出を増大させて対応しようとしていたが、その後半にはいわゆるアホノミクスが登場する。これはいわゆるレーガノミクスをモデルとしたものであるが、大企業が潤えば中小企業にも「好循環」するであろうというトリクルクランと呼ばれる気楽な議論に立脚するものであった。
 しかしアメリカにおけると同じくうまくいかなかったのは、利潤を追求する資本主義に「好循環」というものは内在していないから当然のことである。資本主義は慈善事業をしているわけではないから、いわば社会主義的な介入が不可欠だったのである。
 アホノミクスは金融緩和することにより、それに伴う円安とともに自動車産業などの輸出型の大企業には膨大な利益をもたらすことになった。しかし日本の大企業は新しい事業を展開するというよりは内部留保に努めたから産業は停滞することになった。その半面で中小企業には一向に潤いは回らず、むしろ実質賃金は減少することになったのである。
 その背景には連合の会長が自民党首相の私的懇談会に参加することにみられるように(連合がどうしてこんな会長を選んでいるのかは知らないが)、日本の労働運動が右傾化して労働者の立場を主張することに消極的になったことがあるであろう。日本の労働組合は大体が企業内組合であり、堂々とゲームをするというよりは同調同に傾斜することになる。この日本的協同主義(コーポラティズム)を背景として今では日本国では居住、食事から旅行に至るまで大企業従業員と中小企業従業員の間には歴然としたギャップが生まれることになり、その断絶は同じ国とは言えないようなものになっている。
 アホノミクスの他の面は低金利政策とともに膨大な財政出動によって景気を刺激させようとして巨大な財政赤字をもたらしたことである。それは日銀が無制限に国債を引き受けることによってなされている。このためにも金利は当然に低くしなければならないことになる。しかしそれはまた円安を加速させ、輸入品価格を高騰させ一般国民を苦しめることになる。
 ここにもたらされた円安は日本の経済力の低下を示すものとなっているが、それはまた放漫財政の結果である。日本国の借金は国民総生産の倍以上になっており、革命が起こって以前の政府の負債を帳消しにすれば別であるが、ハイパーインフレでも起きなければほとんど返済不能のものである。今の日本国はかつての幕末と同じように実質的に財政破綻しているといえよう。
 放漫財政による財政の危機は低金利によってかろうじて避けられているが、これはいつまでも続くものではない。仮に長期金利がアメリカ並みになるとしたら政府の年間の返済額は五十兆円以上になり、明らかに返済不能であり、債務不履行(デフォルト)は現実のものになるであろう。その際には日本国はかつてのギリシアのようにIMFの管理下に置かれ、厳しい財政支出の削減を求められることになるであろう。
 産業の実態は停滞していたが産業経済省は「日本はすごい」などと自画自賛していたものである。しかしその実は日本国はロケットも打ち上げられず、ジェット機も作れない国になっていたのである。日本が世界の先端を行っているのはコンビニくらいのものであろう。日本人は雄大な事業には向いていないようであるが、細かいことに忠実なところがあるから便利屋には向いているのであろう。さらには観光業があげられようが、観光業は本質的に乞食産業的なものであり、奨励するようなものではないであろう。
 看過できないのは経済が退嬰することに政治的腐敗が連関するようになっていることである。その代表的な例は日産のゴーン氏事件である。これはゴーン氏がルノーとの統合を図っているという不確かな情報をもとに、日産と産経省と検察、およびおそらくは首相官邸が連携してゴーン氏に不正があったことにして失脚させようとした事件である。ここには偏狭な経済ナショナリズムと権力の腐敗に結合があり、みじめな産業政策がうかがわれる。その訴追はゴーン氏が有価証券報告書に役員報酬を過少に記載したという口実でなされたが、ゴーン氏は報酬の一部を退職時に受け取ることを秘書室に検討させていたものの正式には決定に至っていないのもである。その検討した金額が記載されていないから過少記載であるというような笑うべき低次元の起訴理由はこの事件が捏造されたものであることを物語っている。このようにして日本の産業は有能な経営者の一人を闇に葬っている。ともあれこの事件は日本の産業が無実の人間を罪に陥れるようなものになっていることを示すものとなっている。私はこの事件の方を聞いた時にこうしたことで逮捕したり長期拘留するということには何らかの背景があり第二の大逆事件のようなものであるとすぐわかったが、この事件の全体像はいまだに明らかにされていないようである。太百事件の冤罪性についてはすでに明確になっているが、この事件では研究者の追求力の後退が目に付く。
ba
 いわゆるアホノミクスに関しては多少ともマルクス経済学の心得があればすぐ問題に気が付かれるはずであったが、多くの人が追随していたことは、マルクス経済学が後退したことにも関係があるであろう。むろんマルクス経済学がそのままで通用するものではなくなっているが、資本主義の基本性格に関しての洞察は必ずしもすべて過去のものとなったのではないであろう。この点でこの時期にカラタニという哲学者(?)がたえずマルクスを論じているのは興味深いことである。
 カラタニは経済というものを交換からとらえるという新しい機軸を打ち出しているようである。だが経済というものは元来オイコスを問題にする家政学から出るものである。つまり経済というものは衣食住という端的に物質代謝的なものに係るものである。その意味で交換に機軸を置くというのはすでに出発点において懸念されるものがある。彼はポトラッチのようなものに一種の理想を見ているようであるが、ポトラッチはいわば経済外的な行為である。
 カラタニの主題も資本主義にあるようであるが、その扱いはマルクスとはかなり異なっている。かれは交換のような経済構造と「力」との関係によって経済をとらえようとしているようであるが、この力というものが判然としない。力は交換から生み出されるようでもあり、その外側にあるようでもある。
 おそらくカラタニの力というものは経済の上部構造であり、イデオロギーや権力のことなのであろう。マルクスにあっては上部構造と下部構造は相互に制約関係にあるが、弁証法的な論理を持たないカラタニの場合は、この両者が外在的なものになっている。
 これはカラタニが学部時代には宇野経済学を学んだが、大学院では文学を専攻していることに関係があるようである。宇野経済学というのはマルクス経済学の科学化であり、それはマルクス経済学にあったイデオロギー的な要素を払しょくして科学的なものにしようとするのもである。しかしマルクス経済学というものは政治経済学であり、単に記述的なものではなく実践的なものである。しか宇野のようにマルクス経済学をそのように脱色するならば、それは科学としての近代経済学と同じような構造のものとなる。つまり経済学は現実の客観的な記述として、実はパレート均衡に由来する近代経済学とさして変わらないものになる。これはマルクス経済学の根本的は変容をもたらすものっである。
 おそらくカラタニが文学に移行したのは、宇野経済学が単なる科学になった空洞を埋めるためであったのであろう。しかし宇野経済学も非弁証的なものであるから、科学としての経済学とイデオロギーとしての文学は外在的な関係とならざるを得ない。宇野経済学と文芸評論の折衷である。
 こうしてカラタニにあってはマルクス主義的な議論は、一方で史的唯物論的なものになるとともに、片方のイデオロギーや権力はそれとは必然的な関係にないことなり、両者は外的に配置されることになる。その弱点が端的に表れるのはまさしく資本主義の場合であって、カラタニは資本主義に対抗する力を見つけることができずに、マルクスは力に負けたなどとしている。
 こうした帰結になるのは経済システムは一定のイデオロギーを生み出すとともに、またそのイデオロギーによって制約されているという相互関係に立つものであり、そうであってこそ上部構造が下部構造に働きかけることも可能になるが、カラタニにあってはこの両者が外的関係にしかないためである。経済システムとイデオロギーや権力との内在連関がなければ、思想や実践がシステムに介入することもできない。これはまさしく哲学の貧困であって、哲学ならぬ臆断による様々な意匠の羅列は不毛なものに終わっている。
 こうして国家破産の現実を前にして、それに対応すべきマルクス経済学も、まさしくそれに見合った無力さを示しているといえよう。これも一種のマルクス葬送であろう。これは独創的なペテンといってもよいであろうが、こうしたカリオストロ的な議論に感心する向きもあるというのがこの時期のこの国の的風景の一端なのであろう。

c
 この国の衰退には社会的、文化的、学術的な要因が関与しており、それは筆者も直接的に見聞していることである。
 筆者が大学を卒業するころはいわゆる大学紛争の時代であり、大学は学問をするような環境にはなかったものである。このために筆者は緊急避難的に保険会社に就職することになった。就職の理由は終業時刻が4時であるという理由だけであった。ところが入社してみると終業時刻が過ぎても上司が帰らない限りは何をすることもなく机にしがみついている。低生産性は明らかであり、こうした日本的会社風景は今でもある程度は続いているようである。こんなところに長くいるつもりがなかった筆者は終業と同時に帰っていたものであるが。
 数年後の大学というものに帰ったが、実は大学もこうした日本的会社と大して変わらないものであった。ここでも業績というよりは集団への忠誠のほうが重視され、有能なものはかえって排除されるようなところがある。これが産業や学術にプラスになるはずがない。
 筆者が研究生活に入ったころ一つの特徴的な出来事が生じている。東大法学部の機関誌である国家学会雑誌に佐々木宥司という助教授が「バルトルスの政治思想」という論文が出、東大法学部にしては面白い論文だと思ったものである。ところがこの論文には資料の使い方に問題があるというようなクレームがついたそうである。そこで調査委員会がもたれたが,盗用のような問題はなく、掲載は削除されてもいない。しかしこの助教授は他大学に転出したそうである。
 これが東大法学部的な人事政策なのであろう。多少独自的な論文が出ると小役人風情から足を引っ張られている。こうして創造性はないけれども役人的なそつのない論文が大量生産されることになる。学会というものは凡庸のシンジケートのようなものになる。そうしたルートに乗ると独創性は見当たらなくても文化勲章などが与えられ、日本のガラパゴス体制を構成するものになる。
 東大の学問が概してこのようなものになるとすると、ノーベル賞受賞者が京都大学よりも格段に少ないことは不思議ではないことになる。しかし京大も安泰ではなく、創造力の乏しさは日本の学術の特色となってきているようである。政治学や経済学はさておき、筆者は数年前に日本の古代を調べようとしたが、参考になるアカデミーの業績は乏しく、皇国史観に先祖返りした感を受けたものである。これは日本古代史にはグローバルな視点が不可欠であり、日本列島限定の日本古代史ではどうにもならないためであろう。
 おそらくここに一端を見るような学術の在り方によって、日本の学問の創造性は後退し、科学論文の引用においても大学のランクにおいても日本国はtop25に入らなくなっている。こうした指数は民主主義度や報道の自由度や女性の社会的進出度といった他の指標とも対応するものであり、合わせて日本国の衰退を表示するものである。このように日本の衰退は政治、産業、学術の劣化の三位一体よるものであることが明らかになってくる。
 日本の学術が置かれた状況を象徴的に示しているのは、この時期の終わりの方に起こった学術会議会員の任命拒否事件であろう。政府が理由を明らかにすることもなく任命を拒否するということの理不尽さは言うまでもないことである。しかし学術会議の対応も当惑したりして毅然性を欠いていたことも否定できない。こうした弱腰のために学術会議は民間団体になるという憂き身を見かかっているようである。
 この関連で一つ注意されるのは、原発事故の「処理水」である。政府は「科学的」根拠によるものとしているが、それはEIAEが国際基準に合致しているとしていること以上のものではない。処理しきれていない放射性物質が残存しているのであるから欺瞞的に「処理水」などというのではなく、「核汚染水」とした方が適切であろう。しかし科学政策に提言するはずの学術会議は沈黙したままである。おそらく政府の政策を批判すると首が危なくなることを危うんでいるのであろう。
 この事件で特徴的なことは、政府が無茶苦茶な任命拒否をしても、こんなものはやっていられないといって蹴っ飛ばして辞任する人間が一人もいなかったことである。戦前の滝川事件でも同じようなことがあったが、その時は京都帝大法科大学の七人の教授が辞任している。戦前の学者のほうが学者としての矜持を保っていたといわざるを得ない。

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 失われた30年ということを言うとすれば、それ以前との関係はどうかということになるか。戦後の日本国は復興、高度成長及びバブルの崩壊を経験し、この時期はその終末期になろう。
 近代で言えば明治維新によって幕藩体制から脱皮した大(?)日本国は革命ではなく天皇という古代的な要素を援用して精神的にはほとんど変わることなく政治経済の近代化に進んでいった。福沢諭吉が信後も独立自尊の精神に乏しいと慨嘆したゆえんである。かくしてこの体制は78年後の1945年に軍事的に崩壊することになった。
 第二次大戦後の日本国は天皇を象徴に帰ることによって民主化の道に進んだのであったが、この体制も78年後に経済的衰退によって自滅したといってよいであろう。第一の配線が外からの実力によるものであるとすれば、第二の敗戦は経済的自滅であった。
 二つの近代に共通していることは、社会的、文化的には大きな変化がなかったということであるが、実はこれは古代以来のことなのである。
 古代邪馬台国の報告をしている魏志倭人伝では、和人は従順な性格で目上の者に道で出会うと道端にうずくまると伝えている。この和人の自発的隷従性は邪馬台国を抹殺した由来不明のテンノーの支配によって強化され、古事記日本書紀によって教化されることにもなった。
 この古代天皇制は支配の正当性根拠を伝統におく権威主義的体制であるが、実はこの体制は多少の変容を伴いつつも実は今日までも継続しているものである。これをガラパゴス体制といってもよいであろうが、日本国は世界でも最も保守的な国の一つなのである。日本人そのものが化石的であるが、テンノーは現代に残る化石である。
 このガラパガス体制の一つの特質は個人よりも集団を優先することである。個人主体はそれほど尊重されるものではなく、滅私報国は称賛され、善悪という普遍的な規範は重視されず、国家にプラスになるのが善であり、マイナスになるのが悪であるという国家功利主義が特質的なものになる。日本人に人権感覚だ希薄であるのは当然のことであり、一般原則というものが重視されないから憲法を代表にする法的威信は必ずしも高くない。主体の意味合いが乏しいところでは変革も起きにくい。なぜなら革新ということは状況に対する主体の関与が前提になるからである。
 こうしたガラパゴス体制は一定の成果を上げ、あるいは上げすぎて第二次大戦に至るまでは外国の支配を受けることなく継続してきたわけである。しかし近年における衰弱現象は個人主体の消極性、法的支配や人権保障の弱体性、変革力の希薄性などガラパゴス体制の弱点と限界が表面化したことであるとみてよいであろう。この期間では断続的に閉塞ということが言われつつ何がその要因であるか見抜かれていないようであったが、それは人間の自由を抑止するガラパゴス体制にあったわけである。
 このガラパゴス体制を象徴するのがテンノーである。天皇は一般的な用語では皇帝であり、日本国は今でも皇帝を有する世界で唯一の国である。日本国はまた皇帝が変わるたびに代わる元号という化石を持つ世界で唯一の国である。しかしあまり信奉されてもいない化石化した皇帝を信奉しているかのように仮構して国民主体の自由を抑止している国が民主主義を貫ぬけるはずがない。人口減少は国民もこの体制の将来が明るくないということをぼんやりと感じているからであろう。

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 こうしてこの国はガラパゴス体制の限界に直面しているといえそうであるが、その先は自明ではない。弥縫策を取ることはかえって死に至る病を長引かせるだけであろう。必要なことはむしろ日本システムをぶち壊すことであり、ガラスの天井を取り払うことには積極的な意味があろう。この体制を象徴するのはテンノーであったから象徴天皇制を廃止することは正道であろう。むろんテンノーを廃止してもガラパゴスを脱却する保証はないが、その象徴にはなるであろう。
 象徴天皇制を廃止することは、何よりもテンノーを解放することである。今の天皇は参政権はもとより結婚や職業選択のような基本的人権を奪われており、それは人権後進国の日本を代表するようなものである。象徴天皇制を廃止することは必ずしも暴力革命を必要としない。テンノーは京都に戻り無形文化財として保護されるのがよいであろう。秋篠氏には面白いところがあるから民間人として通用するであろう。
 しかし革命というようなことはこの国の国民がいまだ一度もしたことがないことであり、まず無理であろう。そもそもガラパゴス体制は国民の習俗やエートスをなすものであり、そこからの脱却は自己同一性を危うくするものであり、容易なことではありえない。今までなるべく自己主張をせずに目立たないことが美徳にされていた国民がどうして急に活発な主体になるであろうか。今までかわいくしておくことが求められていた女性が、急に男女共同参画などできようか。今まで美徳としていたものが悪徳になるのであるから、よほどの精神革命を要するであろう。
 大きな変化を予想しにくいのは、何よりも国民が老衰減少に満足しているように見えるからである。確かに一部のスポーツ選手や音楽家のようにトップクラスの人間は日本を脱出し海外に拠点を置こうとしている。船が沈没するときはネズミも脱出するそうである。しかし一般の国民は泥船に自己満足する「お」が付くめでたいところがある国民であり、MJGAと叫ぶような狂人もいない。とするとありうるのは安楽死かギリシア化であろう。古代ギリシアは世界先端の国であったが、今ではヨーロッパの最貧国になっている。
 当面の課題として人口が減少しすぎると社会が成り立たないということが言われる。しかし人口が減少するならば移民を開放すればよいことである。もっとも日本のことであるから、それは順調にはいかないであろう。日本国はもともとは穴安眠の集合体であったが、いったん国家形成があると、おらが国として外国人をは維持したがる。損の上位は建国の初めから存在する。対外関係はその国の特質が表れるものであり、欧米諸国が難民の受け入れを原則としているのに対して、日本国は難民の拒否を原則としているかのようである。入管当局は重病者を放置して死に至らしめている。このような国では労働者能切れも変則的なものにならざるを得ない。すでに技能実習生という美名のもとに日本国は三十万人以上の実質的奴隷を抱えているのである。
 しかしそのように労働者の手当てをしたとしても日本国の生活環境は急速に悪化している。環境問題を軽視して環境保護団体からは化石賞を受賞する常連となっている日本では、東京の夏は数か月にわたって猛暑日と熱帯夜が続き、次第に人間が住めないところになり、やがて熱中死が続出することにもなろう。
 こうして日本列島は実質的には人間が住まないところになり、インバウンドが絶滅危品種を見学し、ガラパゴスの廃墟を観光して化石を拾うことになるであろう。

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 世界に目を向けるとロシアのウクライナ侵略問題を解決できていないところへ、イスラエル戦争が起きている。ハマスはパレスティナ問題に注意を向けさせようとしたのであろうが、エスらエルは一人殺されれば十人を殺す「目」には「目」の国であり、どの程度の成算があったのかは不明である。イスラエルはナチスによるホロコーストを被ったにもかかわらず、それによって教訓を得ることもなく、領土を持つようになると今度は自分がジェノサイドをやっているようである。
 パレスティナ問題の解決の方向はすでに明らかになっている。だ愛二次大戦後イギリスが撤退し、そこにはユダヤ人、アラブ人およびその葉の国が作られることになっていたが、イスラエルが一方的に建国され、パレスティナ人が二級国民にの状態に置かれたために紛争が繰り返されている。したがってこの問題の解決は二つの国を分離独立させるほかはないのである。
 したがって日本国はアメリカの顔色を見ることなく、パレスティナ自治政府の承認へ進むべきなのである。むろんパレスティナ自治政府にはガザ地区を制御できていないという点でも自治能力に問題を持っている。アッバース議長はバオデン大統領がイスラエルを訪問した際に犠牲者の喪に服しているという理由で面会もしなかったそうであるが、これでは犠牲者も救われない。パレスティナ自治政府の当事者能力を高めることは先決問題であろう。
ひるがえってアメリカでは反乱を先導した刑事被告人が有力な次期大統領候補になっており、ロシアでは殺人常習犯が次期大統領に確実視されている。こうした現状においては日本国のありさまはまだ生ぬるいとも言えよう。しかしこれは暴力の使用法の問題ともみられるものである。地球の西側では物理的な殺人が好まれるのに対して、日本国では真綿で窒息させるようなハラッスメントガ一般である。
 神はhomo sapiensを神に似せて作ったそうであるが、ここには手違いがあり、紙に梁成だけで済むものの不完全な人間には理性だけでなく力も与えられ、力菜必ず腐敗する。だから人の世界は善悪二元論的なものになることになる。だからまた闘争は必要であり、正しい。
 しかし闘争は結局つまらないものである。それだから人間の世界には文化芸術も必要になる。もっとも仮象としての文化芸術は現実の不完全性の反面であるか手放しで称賛することはできない。しかし力のある芸術は現実を解体することができる。
 秋の一日私は観世能楽堂に関寺小町を見に行った。秘曲中の秘曲であり、今まで見たことがないものである。武田宗和一世一代の舞台である。前座におかれた今年文化功労者になったという観世宗家の高砂八段之舞などは足高く俗臭ふんぷんとしたものであるが、武田のは違っていた。この能楽堂は銀座の地下という場違いなところにあるが、舞台と現世との落差を感じさせるところである。私は銀座の通りに出たとき一瞬舞台のほうが現実であり、銀座の通りは幻ではないかと錯覚したものである。インバウンドでにぎわう銀座はいずれ消え去るであろうが、関寺小町がなくなることはないであろう。  
 今年は大江健三郎が死去している。大江の文章はあまりにも切り貼り細工をしすぎていて面白くないが、文化勲章を拒否したことは一目置くべき存在であった。テンノーから勲章などもらいたくないということであろう。大江はガラパゴス体制に対する最も徹底した対抗者の一人であった。ノーベル賞を拒否したサルトルのほうが一枚上ではあるが。

ga 今年の裁判1
 旧統一教会の解散命令が申請されたそうである。この教会の本部は韓国にあるから、日本国で解散させることはできないであろう。せいぜい日本支部を廃止することくらいであろうが、それも韓国の本部がすることである。日本支部が公益に著しく反することがあるならば、日本での宗教法人の認定を取り消すことが必要かつ十分なことである。解散命令などというのはイワシの頭も信心という宗教の本性を見ないものであって、資産だけを問題にし、あいまいな公益を持ち出して禁教的な措置をすることは宗教の自由を理解しないものであろう。
 これは宗教法人法の問題でもあるが、あえて触れるのは暴力団に対しては公認性(指定暴力団)を取っているという奇妙なことがあるからである。犯罪団体には結社の自由を認めて、宗教団体には認めていないのは、いかにも無宗教的な日本国の宗教鈍感性であろう。
gb 今年の裁判2
 京アニメ事件の裁判が行われている。作品が盗まれたという被告の主張は単なる妄想であるとされているようである。そうであるとするならば、京アニメのどの作品のどの部分が被告のどの小説のどの部分の登用である可能性があるか検証されなければならないであろうが、そういうことはしていないかのようである。また妄想としても、高度の妄想は心神耗弱をもたらしうるであろう。
 京アニメ社長は盗用などする会社ではないとしているようであるが、それは当たり前の一般論であり、この事件を説明するものではない。京アニメの対応が事件の引き金になったとしたら、抒情酌量の余地も生まれるであろう。だがそういった精査もされているようではないようである。おおまかさも予想される裁判で死刑になるとすると、それはいまだに国民の半数以上が死刑に賛成している人権小国にはふさわしいものになるであろう。